2018年10月31日水曜日

枇杷の花

枇杷の花が咲き始める(柳川土手)
 
枇杷の花が咲き始める(柳川土手)
 柿の実(柳川土手)
散歩の記録 7.15km、8484歩

  いつもの散歩コースを散歩した。柳川土手の枇杷はつぼみから花が咲き出した。

  小さな花であるがたくさん咲きそうである。小さな花が塊になっており、この後実がどのようになっていくのか興味深い。

  これからも観察を続けたいと思う。

  また柿木は柿の実が熟し食べごろであるが、鳥が食べないところをみると渋柿ではないかと思う。

  寒く感じるようになり、秋が深まっていく。

2018年10月30日火曜日

船瀬俊介

船瀬俊介の講演(You-Tube)
(長寿には少食・菜食・筋トレ)
散歩の記録 7.16km、8033歩

  You-Tubeから、新聞・テレビ・ラジオでは知ることのできない貴重な情報を得ることがある。中にはフェイクらしきものもあるが、内容を確認すると真偽のほどは容易に判断できる。

  それらの中で船瀬俊介の講演内容は大変興味深い。九州大学理学部を中退し、早稲田大学文学部を出て、環境問題のジャーナリストとして知られる。

  その内容は環境問題のみならず、医学、医療、癌、健康、長寿、食ベもの、人口、住宅、生き方、政治、経済、国際問題など多岐にわたる。その視野が日本に留まることなく、世界からの情報をもとに話を展開している。

  ご本人のそれらの知見から、ビーガン生活を推奨している。そして、自分もビーガンであることを公言している。ただビーガンの困るのは付き合いで食事するとき、食べるものがないことである。菜食だけ選んで食べると必ず割り勘負けすると冗談を言う。

  それで8:2の原理で対応すればよいとする。80%はビーガン、20%はお付き合いのために普通の食べ物で交友を深めるのに使うということである。

  ビーガンになって久しいが、私の場合にはすでにリタイアしてからビーガンになっており、もう付き合いの食事は必要ない。それで付き合いの食事はすべて断っている。

  同窓会、同期会なども行かなくなった。もう付き合う必要がないからである。故に100%ビーガンの生活が続いている。

  現役の人は、船瀬俊介のいう8:2の原理で生活すれば、人間関係も維持しながら、健康も維持できるものと思う。参考にできる話である。

2018年10月29日月曜日

風神雷神図屏風

風神雷神図屏風欧州初公開(WEBニュース)
散歩の記録 7.87km、8796歩

  先日京都建仁寺を訪れ、風神雷神図屏風の複製品を鑑賞している。しかし本物は京都国立博物館にあるとしていた。

  現在は京都国立博物館にはなく、訂正の必要が出てきた。今パリのセルヌスキ美術館で琳派300年の展覧会が開かれており、その中で風神雷神図屏風も展示されているとのニュースがあった。来年の1月27日まで開催される。

  本物もぜひ見ていみたいと思う。11月前半はデュッセルドルフに滞在しレンタカーも借りているので、車でまたパリへ行くことにした。

  また、以前にも訪問したパリの知り合い(2014年12月7日、シャンブールシー)にも連絡を入れ、会えないか問い合わせをしている。

  日本では10年に一度くらいで本物の風神雷神図屏風を公開しているが、大変な人出であるという。上野であった北斎展もあまりにも人が多く長蛇の列で見学を諦めたが、その後ボストンに滞在した時にはゆっくりと北斎展を鑑賞できた。

  今回もパリの展覧会は日本のような混雑はないと思われ、ゆっくりと見学できると思う。この冬のヨーロッパ滞在の楽しみが一つ増えた。

2018年10月28日日曜日

ofo自転車貸業

 ofo撤退の記事(WEBニュース)
びわこ大津館前のofo専用駐輪ポート
 
びわこ大津館前の貸自転車
 
ofo専用駐輪ポートのある大津京シンボル緑地
 大津京シンボル緑地の貸自転車
散歩の記録 6.78km、8699歩

  WEBニュースでofoから事業撤退の連絡との記事があった。この4月から大津市が中国のofoに自転車貸業の業務を委託していたが、日本での業務から撤退するとの連絡があったとのこと。

  その後、ofoとは連絡が取れず大津市の担当者が困惑している。今後どうなるのか注目するところであるが、中国企業との付き合いで大失敗の事件を思い出す。

  ある事業所にいた時、事業所の自家発電所の改良工事を中国企業に依頼している。日本の企業に比べて半額の見積額であったためである。

  工事が完成すると初期チェックの後、中国側は引き上げていった。その後運転するが不具合が多数出てきて、追加工事で結局経費は日本企業の見積もりより高くなってしまった。

  完成後の保証などの訴えを起こそうとしていたが、工事した本体が不明になっていた。その結果はどうなったかはリタイアしたので知らないが、安もの買いの銭失いそのものであった。

  中国は広大な国である。一企業が夜逃げしてしまえばそれで不明となってしまう。今回のofoの事件もofo自体を見つけるのは難しいのではないかと思う。

  結局は詐欺のようなもので、安値で決めずに、実績のある信頼できる企業を選ぶべきとの教訓であった。

  発電所工事を中国企業に発注することを決めた設備関係のトップの責任は重大である。しかし、その責任を取ったという話は聞かない。大津市の場合、だれが責任を取るのであろうか。注目したい。

2018年10月27日土曜日

建仁寺

建仁寺勅使門の表示
建仁寺勅使門
三門への参道
望闕楼(ぼうけつろう)の扁額
三門(望闕楼)
法堂
双龍図の説明
法堂天井画・双龍図
法堂釈迦如来坐像
方丈の大雄苑(枯山水)
方丈、大雄苑、法堂
方丈から法堂への参道を見る
風神雷神図の表示
 
風神雷神図(俵屋宗達、陶板複製)
 
大書院の風神図屏風(複製品)
大書院の雷神図屏風(複製品)
 雲龍図襖の表示
 
雲龍図襖(海北友松)
雲龍図襖(海北友松)
 十一面観音菩薩坐像の表示
十一面観音菩薩坐像と竹林七賢図(海北友松)
 竹林七賢図(海北友松)
 竹林七賢図(海北友松)
 山水図襖(海北友松)の表示
 山水図襖(海北友松)
 東陽坊の表示
 東陽坊
栄西禅師茶徳顕彰碑銘
 栄西禅師茶徳顕彰碑
栄西禅師入定塔
 
開山堂
散歩の記録 6.0km、8571歩

  昨日は南座を見た後、建仁寺を訪れた。ここも何度も通り過ぎているが、ゆっくりと中を見学したことはなかった。

  京都最古の禅寺といわれ、開山は栄西禅師である。ここは何といっても俵屋宗達の風神雷神図屏風で有名である。本物は京都国立博物館にあるが、複製陶板画と複製屏風が展示されていた。

  松原通りに勅使門があり、参道が方丈に向かって続く。途中三門である望闕楼(ぼうけつろう)があり方丈の入口に来る。

  方丈に入ったところに風神雷神図屏風の陶板複製が置いてある。風神雷神図を見て、廊下を渡って法堂に入った。

  天井には天井画である双龍図が描かれている。すごい迫力である。絵自体は全く違うが、バチカンのシスティーナ礼拝堂の天井画「最後の審判」を思い出す。

  方丈に戻って、海北友松の雲龍図襖、竹林七賢図、山水図襖などを見て回った。水墨画が部屋とマッチして落ち着いた気分になる。

  方丈の縁側に座って休憩した。大雄苑の枯山水を見ながら、部屋の水墨画といい、日本のわびさびの雰囲気を味わう。

  秀吉が催した北野茶会で副席として使われた東陽坊を見て、方丈を後に勅使門へ戻った。その途中東には、開山の栄西禅師の開山堂、茶碑がある。栄西禅師が日本で初めて茶を持ち込んだという。

  帰り松原通りを河原町まで歩いた。鴨川を渡ってすぐに前原メガネ店がある。高校の時、初めてメガネを買ったのがこの店であった。ご主人一人で切り盛りしていたのが思い出される。閉店との張り紙があり、もう店はやっていないようであった。

  今ではメガネチェーン店が全国に網羅している。個人メガネ店がやっていけない世の中になってしまっているようである。

2018年10月26日金曜日

南座

 耐震工事が完成した南座
南座新開場まで6日
南座の提灯
 顔見世興行まねき
(右端 坂田藤十郎、中央右 片岡秀太郎 片岡愛之助)
(左端 松本白鸚、中央左 松本幸四郎 市川染五郎)
まねきと演目を描いた絵看板
 演目「毛抜」
 演目「連獅子」
 演目「封印切」
 演目「鈴ヶ森」
 演目「寿曽我対面」
襲名披露 口上
「松本白鸚、松本幸四郎、市川染五郎」
 演目「勧進帳」
演目「雁のたより」
にしんそばの松葉
本日の移動距離 12.28km、7275歩

  2年9か月に渡り耐震工事が行われていた南座が、あと6日で再度開場される。この2年の顔見世興行は先斗町歌舞練場、岡崎のロームシアター京都で開催された。顔見世興行も3年ぶりの南座での催しとなる。

  京都は12月に入ると顔見世興行が始まり、師走が来たと実感する。今年は南座400年ということで11月から2か月にわたって顔見世興行が行われる。

  特に11月は松本白鸚、松本幸四郎、市川染五郎の襲名興行も兼ねている。それで明日は、南座から八坂神社までお練りが実施され、四条通りは歩行者天国となり歌舞伎役者70名が歩くという。

  本日はこの工事の完成した南座を見に出かけた。子供の頃に一度家族と共に南座に観劇に来ている。大江美智子一座の興行であった。2~3階席から舞台を下に見て、チャンバラなど見て楽しんだ覚えがある。

  その後は南座前を通り過ぎるだけであるが、その隣にあるにしんそばの松葉ではよくそばを食べている。

  その松葉は今も健在で、繁盛しているようであった。この後、観光客で賑わう四条通から南下し、建仁寺に向かった。