2018年7月18日水曜日

三十三間堂

 三十三間堂の位置
三十三間堂の表示
三十三間堂の通り
三十三間堂境内
三十三間堂の説明
三十三間堂本堂
三十三間堂通り向かいの養源院
 養源院の説明
伏見城 血天井、宗達杉戸絵などがある
 隣にある後白河天皇陵
 後白河天皇陵入口
 その隣にある法住寺
(後白河院政時代の法住寺殿にあった寺)
 南大門
 南大門、太閤塀の表示
太閤塀と南大門
本日の散歩 5.83km、8105歩

  昨日は祇園祭の神輿を見て、歩いて京都駅に行く途中、三十三間堂に立ち寄った。

  三十三間堂は小学生の遠足で来て以来、60年ぶりではないかと思う。もう夕方で中には入れなかったが、三十三間堂前の通りから南大門、太閤塀にかけて見て回った。

  三十三間堂には千手観音像が千体(正確には1001体)あり、この45年かけた修理作業が昨年終了したとのこと。子供の頃の記憶では、暗いお堂の中に延々と像が並んでいた。

  三十三間堂の場所は平安後期の後白河天皇が退位後、院政を行った法住寺殿があったところで、その本堂として創建されている。今も法住寺は健在である。その関係で、後白河天皇陵は向かいにある淀殿ゆかりの養源院と法住寺の間に位置している。

  後白河天皇の権威をあやかって誇示するように秀吉は、この付近に方広寺を作り大仏殿、南大門、太閤塀を築いている。しかし、その大仏殿は今はない。

  秀吉といえば伏見城であるが、伏見城の血で塗られた床板が養源院の天井につかわれているという。また養源院には宗達の杉戸絵もあるという。また機会があれば見てみたいものである。

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