2018年10月15日月曜日

大津市企業局

大津市役所玄関
 
市役所内にある大津市企業局
本日の散歩コース(大津市役所)
 散歩の記録 7.26km、11238歩

  11月から3か月ほどヨーロッパに行くので、その間の電気、ガス、水道の支払いを検討している。

  電気は自動振り込みであるので問題ないが、ガス、水道は毎月請求書が来るごとに郵便局などで支払っている。

  自動振り込みにしようとしたが、契約している銀行では出来ないとのことで、やむなく請求書をもらって支払いに行っている。

  契約している銀行は、大手都市銀行であるが、滋賀県では4大手銀行のうち2銀行の扱いがない。今までいろんなところに住んできたが、これら大手銀行が使えないのは初めてである。

  止む無く対応を相談に大津市役所大津市企業局に散歩を兼ねて出向いた。大津市では水道とガス両方とも大津市が管理している。

  やはり取引のある銀行からの自動振り込みが出来ない。基本料金を確認した所、水道、ガス合わせて2000円/月ということで、それを節約することもあり、結局不在の期間契約を解除することにした。

  出発の当日業者が来て栓を遮断し、それまでの経費を現金精算する。そして帰国の日にはまた業者が来て開通させるというもの。案外小回りが効くようである。

  これからもこのようなことがあると思われ、この方式を使わせてもらうつもりである。

  しかし大手都市銀行の2銀行が使えないというのは誠に不便である。大津に移住して快適な生活を満喫しているが、滋賀県は田舎と思わざるを得ない面もある。

2018年10月14日日曜日

ミズアオイ

渉成園でミズアオイの花が咲く(WEBニュース)
散歩の記録 6.25km、8780歩

  本日のWEBニュースが、東本願寺の渉成園印月池にミズアオイの花が咲いたと伝えている。

  先月、渉成園を訪れているが、その時期に花が咲いたという。印月池には水草が茂っていたが、花には気が付いていなかった。

  13年ぶりに見られた花という。ミズアオイは京都では京都市南部、乙訓、山城地区で見られた水生植物であるが、最近は見られる機会が少なくなり絶滅危惧種に指定されている。

  印月池では昨年の秋に池の水を抜いて底の泥を耕しており、種が残っていてそれが発芽したものと考えられる。

  美しい紫の色は、染の材料、食用としても使われたことがある。農薬の影響で個体数が減少しており、今回の開花はその種が泥中に残っており、条件さえ整えばまた再生することを示している。

  近くの田んぼの泥にもその種が残っている可能性もあり、農薬をやめれば紫の花が再生することも期待される。

2018年10月13日土曜日

大津ジャズフェスティバル

大津ジャズフェスティバル(大津港岸壁広場)
 出店も出ている
 ジャズ演奏
ジャズ演奏
大津港前広場(第二会場)
 大津港前広場
 ジャズ演奏(第二会場)
大津市内サイクリング 10.7km
散歩の記録 3.00km、4096歩

  西武百貨店に買い物に出かけ、帰りに大津港で開催されているジャズフェスティバルに立ち寄った。

  毎年開かれている催しであるが、見るのは初めてであった。結構ファンがいるようで賑わっていた。出店で食べ物、飲み物を買って食べながら鑑賞している人が多い。

  クラシック音楽のこのような催し物があればじっくりと聴きたいと思うが、あまり興味がないので立ち寄るだけで帰宅した。

  ちょっと寒いくらいの気候で天気も良く、いつもの浜辺とは違って多くの人が出歩いていた。

2018年10月12日金曜日

鈴木梅太郎

 鈴木梅太郎の話(You-Tubeから)
大津市内サイクリング 7.12km
散歩の記録 3.65km、4758歩

  You-Tube はいろんな情報を伝えているが、嘘っぽいものもある中で、逆に貴重なあまり知られていない歴史事実も含まれている。 

  先日見た情報に鈴木梅太郎の話があった。ビタミン発見者で有名であるが、発見当時その学説は全く受け入れられていなかったという。

  明治以降富国強兵のスローガンのもと軍隊も増強されたが、兵隊などの若者に脚気患者が増大し国家的対策が必要になっていた。

  当時伝染病説が支配しており、伝染病であると信じられていた。その脚気の原因を研究したのが鈴木梅太郎であった。

  もともと東京大学農学部出身の学者であったが、今でいうビタミン不足が脚気の原因であることを突き止めた。それは玄米から白米に加工するときにでる米糠に含まれる成分(オリザニンと命名した)で、それが不足すると脚気になり、与えると脚気にはならないことを発見した。

  しかし日本では森鴎外を初め東大医学部出身の学者たちは伝染病説を主張し、たかが百姓風情の人間がとんでもないことを言っているとして嘲笑していた。

  結局日本では認められることはなく、翌年海外の研究者により同じものが確認されたことによりビタミンと名付けられ、世界的に脚気の撲滅に寄与したという歴史である。

  医学学会の権威主義が、より犠牲者を増やしていったという事実である。歴史は繰り返えされる。水俣病も同じような東大学者の権威主義により犠牲者が増大した例である。

  熊本大学の学者が実験などで有機水銀が原因と唱えても、田舎の学者が何を言っていると、有機水銀ではないと主張し続けた。その結果患者は悲惨な生活を続け、また患者も増大し続けた。

  当時、鈴木梅太郎の発見は日本の学界で否定され、世界にその発見を知られることはなかった。結局、その後のビタミンのいろいろな役割を研究した人がノーベル賞をとることになる。

  日本の学界の権威主義がなければ、日本最初のノーベル賞は鈴木梅太郎に与えられていたであろう。

  森鴎外は文学の世界では名声を得ているが、医者としては大きな罪を犯しているということを今回初めて知った。森鴎外といえば医者で文学者といわれているが、少なくとも医者の肩書は外した方が良いのではないかと思う。

  今毎日玄米を食べているが、明治以降に脚気が激増したのは白米を主食としたからである。米糠にはビタミンのみならずいろいろな有効成分が含まれているという。

  これからも玄米を食べ続けるつもりである。

2018年10月11日木曜日

根来の子守唄

根来の子守唄のビデオテープ画面
根来の子守唄(1)動画
根来の子守唄(2)動画
根来の子守唄(3)動画
根来の子守唄(4)動画
根来の子守唄(5)動画
散歩の記録 5.88km、8293歩

  先日訪れた京都智積院は、もともと和歌山にあった根来寺から逃げてきた僧たちによって創建されている。

  空海によって開宗された真言宗は平安末期には衰微していた。鳥羽上皇から信任を得た覚鑁(かくばん)上人は、高野山に入り真言宗を再興した。その覚鑁上人が晩年過ごしたのが和歌山根来寺であった。

  その寺の中に学問所として智積院があった。秀吉により根来寺が焼き払われた後、学僧たちは京都に逃れ、智積院として残ったという歴史である。

  根来寺と聞いて、昔のビデオテープに記録された根来の子守唄を思い出した。この根来寺焼き討ち事件の後、その悲惨な思いを伝えるためにこの子守唄は歌われてきたという。

  久しぶりにホームシアターでそのビデオテープを見た。歴史をしみじみと感じさせる子守唄である。

  その後、智積院は真言宗智山派総本山として成田新勝寺、川崎大師などの末寺を擁して現在に至っている。

  先日の智積院訪問により、歴史の一端を知ることになった。

2018年10月10日水曜日

智積院金堂

 金堂に向かう参道
 金堂の説明
 金堂
 金堂と紅葉
 色づき始めている紅葉
 大師堂の説明
 大師堂
 大師(遍照金剛)堂の扁額
 
明王殿の説明
明王殿
智専之鐘の石標
 智専之鐘
散歩の記録 4.26km、5759歩

  昨日は智積院講堂を見学した後、参道を東に進み金堂に向かった。金堂が本堂で、ご本尊は大日如来である。

  金堂左に進むと大師堂がある。弘法大師御本尊を祀っている。また金堂右手には明王殿があり、ここで護摩祈祷が行われる。和歌山根来寺から伝承したと伝わっている。

  金堂を見ながら智専之鐘に行く途中には紅葉の木があり早くも赤くなり始めていた。まもなく紅葉の季節であることを知る。

  ここも晩秋には真っ赤に染まるのであろう。また訪れたく思う。

2018年10月9日火曜日

智積院

 智積院総門
 智積院の説明
 智積院入口
 長谷川等伯障壁画収蔵庫
 講堂、名勝庭園入口
 
講堂の説明
 講堂
 講堂前の句碑説明
 高浜虚子の句碑
(ひらひらとつくもをぬひて落花かな)
 講堂を飾る襖絵(田渕俊夫の墨絵)
布袋唐子嬉戯の図の説明
月樵道人の布袋唐子嬉戯の図
月樵道人の布袋唐子嬉戯の図
講堂廊下と松の木
講堂玄関から見る総門
名勝庭園
名勝庭園(講堂縁側からの動画)
現代版等伯障壁画
(講堂縁側から部屋内部を見る、動画)
移動距離(京都智積院) 30.9km
 歩いた距離 9.53km、8828歩

  午後から京都智積院を訪れた。子供ころからこの前を何度も通っているが、今まで中に入ることはなかった。

  東山通りに総門は面しているが、そこからは入れない。少し南に車も入れる大きな入口がある。山の方、東に向かうと講堂・名勝庭園に来る。入口で拝観券を買って入る。

  まずは長谷川等伯障壁画収蔵庫に入る。エアコンのかかった部屋に障壁画が部屋を囲んで飾られている。

  有名な水墨画、松林図屏風の雰囲気を期待していたが、全く異なる。狩野派とは一線を引いて、異なる画風が特徴と思っていたが、狩野派の影響が見られる。初期の段階では狩野派で勉強していたためと考えられる。

  次に講堂に向かった。その前には高浜虚子の句碑がある。講堂に上がり、名勝庭園に面した縁側に座った。小さいな庭園であるが、しばらく座って庭を見つめた。アオサギが1羽、庭園にたたずんでいる。利休好みの庭といわれるだけあって、気持ちが落ち着く。

  後ろを見ると壁に目新しい障壁画が描かれていた。等伯の絵を模して、最近描かれたものである。本物は少し朽ちてわびさびの雰囲気が出ていたが、この模倣画はけばけばしく見える。

  講堂内を歩くと、最近の田淵俊夫の襖絵、大正時代に描かれた布袋唐子嬉戯の図も見ることが出来る。廊下を歩くと古い松の木が趣を添える。

  この後、本堂である金堂の方に向かった。