2018年3月22日木曜日

秋葉原

上野公園入口の枝垂れ桜
公園内の染井吉野(まだ開花し始め)
上野公園から中央通りを歩く
(秋葉原に向かう)
上野広小路交差点
寄席広小路亭
 
中央通りの表示
中央通り(左 松坂屋・パルコヤ)
 外神田五丁目交差点
ここから秋葉原の街
深崎暮人展の看板 
入場を待つ長い行列
 ソフマップビル群
ソフマップの店 
 オノデンの店
観光バスで乗り付ける外国人観光客
 
万世橋交差点
エディオン秋葉原店(旧石丸電気)
Big Apple(旧ラオックス)
 総武線鉄橋
 ラジオセンター
ラジオセンター内
真空管も売っている
 JR秋葉原駅
秋葉原駅前
AKB48劇場
 東京自宅マンションの桜(一部咲き始める)
 秋葉原を歩く
(上野、中央通り、上野広小路、末広町、外神田、秋葉原駅、万世橋)
歩いた距離 7.23km、10267歩

  昨日東京自宅に戻ったが、今日は雨も止み午後には晴れ間も見られるようになった。ステレオ音声の特殊ジャックを探しに、秋葉原に出かけた。

  上野から歩いて秋葉原に向かった。上野公園は入口の枝垂れ桜が満開であるが、公園内の染井吉野は咲き始めたところで、まだこれからである。それでも大変な人出であった。

  中央通りを秋葉原・銀座方向に歩く。広小路には寄席の広小路亭、松坂屋・パルコヤなどに人の賑わいが見られる。

  更に進むと外神田五丁目の交差点に来る。ここから秋葉原の街となる。すぐに若い子たちの長い行列に出くわした。深崎暮人展の看板があり、漫画家の展覧会の入場待ちである。私にとっては、全く知らない世界である。

  そしてソフマップビルの前に至る。40年ほど前にはソフマップはこの辺りのマンションビルの一室で細々とパソコン販売をしていた。その当時からワープロ、パソコンをソフマップで購入している。

  当時、週末は毎週のように秋葉原に行って、電器製品、計算機、パソコンなどを見て回っていた。

  パソコン関係では、NEC が16ビットの98シリーズを販売した時、本体、カラーブラウン管、カラープリンター、ソフトの一太郎、花子、ロータス123などをすぐに購入した。約100万円ほどかかったと思う。

  会社ではまだパソコンは導入されていなかったが、自宅で仕事のレポート書きに使用し、妻からの依頼で家計簿が記録できるようにしたり、また年賀はがきの住所録、ハガキ印刷などに使用していた。

  しかしまもなくWindows が開発されパソコンの世界は激変し、当時のハード、ソフトはとっくの昔に使わなくなり捨ててしまった。

  このソフマップはその後大きく成長し、今ではパソコンの大きな店として全国に販売網を持っている。

  電気製品はオノデンでよく購入していたが、今も健在であった。

  万世橋交差点には石丸電機、ラオックスがあったが、石丸電気はエディオン、ラオックスはパチンコ屋に変貌していた。この万世橋までが秋葉原電気街といわれている。

  折り返して、反対歩道を歩くとすぐにラジオセンターがある。ここは昔と変わらず総武線の高架下の通路に小さな電気部品販売店が連なっている。ここには世の中にある電気部品がすべて揃っているといわれている。もうマニアしか買わない真空管も売っていた。

  このセンター内の店で、すぐに希望のジャックが見つかり購入した。なんでも揃っており、価格も安い。

  このセンターの高架続きにJR秋葉原駅がある。駅前広場からは高層ビル群につながる道となっている。

  中央通りに戻り上野の方に歩くとまもなくAKB48劇場がある。今を時めく女性グループ活躍の本場となっている。

  今、秋葉原は電気街というよりも、若者の文化の発信地として世界に名をはせているようで、海外からの観光客で混雑していた。

  自宅に帰ると、マンションの桜はまだ一部咲き始めたところで満開にはまだ一週間はかかる感じであった。

2018年3月21日水曜日

高速バス

JR京都駅烏丸口
東京行乗り場
 東京駅行高速バス
 京都駅烏丸口発
 甲南サービスエリアにて休憩
 高速バス内部
外の景色(動画)
 三ケ日インターにて運転手交代
 浜松湖サービスエリアで休憩(GPS)
 浜松湖
足柄サービスエリア(雪が降っている)
GPSでの位置
 足柄サービスエリアで休憩
 本日の移動軌跡
(京都、名神、新名神、伊勢湾岸自動車道、東名、首都高)
歩いた距離 10.74km、7597歩

  東京と京都の行き来は、今まで新幹線か、自動車であった。自動車の場合には運転するため、景色をゆっくり見たことはなかった。本日、京都から東京自宅に戻るのに高速バスを初めて使ってみることにした。

  朝から雨の日にもかかわらず京都駅は観光客でいっぱいである。大阪発のバスは予定時間の10時30分から15分ほど遅れて京都駅烏丸口に入って来た。京都市内の混雑のため遅れたそうである。

  空席なしの満席でバスは国道1号線を東に向かい、山科の京都東インターから名神高速に入った。雨の中その後は順調に走り、草津からは第二名神に入り甲南サービスエリアにて一回目の休憩を取った。

  その後亀山で伊勢湾岸道路に移り、名古屋湾南岸を走り東名高速に入った。第二東名高速は通らず、第一東名高速を走る。車で行くときは最近は第二東名を走っているので旧東名を走るのは久しぶりである。

  浜名湖の少し手前、三ケ日インターで高速を降り、JR駐車場に停車した。運転手が交代するためである。そして浜名湖サービスエリアで二回目の休憩を取る。

  そして一路東京に向かうが、足柄サービスエリアの手前から雪模様になる。最後の休憩はこの足柄で取ったが、回りは積雪で降りた後注意しないと転びそうであった。

  いつもの連休には海老名サービスエリア辺りから渋滞するが、今日は一日だけの休日、春分の日であるためか、渋滞はほとんどなかった。

  首都高で都心に入り、次は霞が関とのアナウンスがあった。東京駅終点に行くよりもここで降りた方が早いと判断し、下車した。その場所は現役時代のビルのある交差点で、すぐに地下鉄千代田線に乗ることが出来た。

  自宅には19時ころに着いた。バスに乗った時間は7時間半ほどで、天気が悪く景色は楽しめなかったが、Wi-Fiインターネットも見られるため退屈することもなく過ごせた。

  いつも車を運転する時には休憩はだいたい一回であるので、三回も休憩が取れるのは楽であった。

  車運転の疲れもなく、新幹線の半分以下の値段であるのが何といっても魅力で、これからも急がない時には高速バスを使いたい。帰りもバスを使う予定であるが、天気が良くなることを願っている。

2018年3月20日火曜日

御霊神社

 御霊神社鳥居
御霊神社の説明
 舞殿
本殿
能舞台
クスノキの説明
 
クスノキ(樹齢100数十年)
 ムクロジの説明
 ムクロジ(樹齢400年)
本日の散歩 10202歩

  地蔵院から物集街道を渡り東に進むと、桂離宮手前に御霊神社がある。

  日本3筆といえば嵯峨天皇、空海、そして橘逸勢であるが、この神社はそのひとりである橘逸勢を祀っている。

  境内には樹齢100数十年のクスノキ、それから樹齢400年というムクロジがある。以前にも記したが、ムクロジの実の中の黒い種は羽根つきのたまに使われている。

  ここから数100m歩くと桂離宮に至る。

2018年3月19日月曜日

地蔵院

 

 一休さん生誕の地
 参道
境内の竹林(竹の寺とも呼ばれる)
本日の散歩 京都松ヶ崎を歩く

歩いた距離 8.99km、12837歩

  先日苔寺から桂離宮に向かおうとしていると、苔寺バス停の横に「地蔵院」の矢印があった。今までは気が付いていなかったこともあり、行って見ることにした。

  緩やかな坂を上がるとまもなくその寺、地蔵院に至る。参道前には、一休さん誕生の地との看板がある。苔で覆われた参道を歩くと門があり境内となる。

  境内には竹林があり、この寺は竹の寺とも呼ばれている。

  この寺は、南北朝時代に室町菅領細川頼之が夢窓国師の弟子に建立させているが、開山は夢窓国師の名となっている。

  応仁の乱などで廃墟となったが、その後細川家の援助により復興し今に至っている。

  細川家とのつながりから、元首相の細川護煕の直筆の襖絵がある。

  この後、桂離宮に向けてさらに歩いた。

2018年3月18日日曜日

大津館周辺の野花

 大津館周辺の野花
 大津館周辺の野花
 大津館周辺の野花
 大津館周辺の野花
 大津館周辺の野花
 大津館周辺の野花
 大津館周辺の野花
 大津館周辺の野花
大津館芝生に咲くタンポポ
大津館芝生に咲くタンポポ
 大津館桜並木の染井吉野の桜
幹からの花、枝はまだつぼみ)
本日の散歩 6.30km、8735歩

  柳川土手湖畔公園の野花はいつも目についていたが、大津館周辺の野花には気が付かなかった。周辺には花壇が多く、つい花壇に目が行くためである。

  今日は花壇を見ることなく、回りの雑草をゆっくり見て散歩した。そうするとたくさんの可憐な野花が咲いていることに気が付いた。

  ピンク、白、ブルー、空色など色とりどりである。そして大津館前の芝生にはタンポポが咲いていた。茎がほとんどなく日本種である。

  大津館桜並木の染井吉野の桜はまだつぼみであるが、幹から直接でた花だけが咲いている。本体が咲くにはもう少し日にちがいるようである。

  本日は、近江神宮でいつになく多くの人に出会った。そういえば今、映画「ちはやぶる-結び」が公開されており、また先週テレビで放映されたこともあり、その影響ではないかと思う。

  はかま姿の若い男女が楽し気に詣でていた。