2017年6月22日木曜日

醍醐山

 牛尾山麓に自転車を置く
(行方不明の白いママチャリ)
 登り口にある水車
 桜の馬場から横嶺峠・醍醐山方向へ
(山科音羽川を渡る)
 横嶺別れ
(右 高塚山、左 横嶺峠・醍醐山)
 高塚山への道
 横嶺峠・醍醐山への道
舗装道路に出る
 舗装道路に出たところの道標
横嶺峠
( 舗装道路からまた山道への分岐)
 上醍醐・岩間への道を進む
(右は直接醍醐三宝院に至る)
 横嶺峠のGPS表示
 横嶺峠の高度408m
 上醍醐に向かう山道
途中の台地で休憩
台地の位置
 
台地の高度448m
五大堂への階段上り口に達する
 五大堂の説明
 五大堂
開山堂の説明
開山堂
開山堂
開山堂の所が醍醐山頂
(450mとの表示)
 開山堂のGPS表示
 開山堂のGPS高度(454m)
 
 如意輪堂の説明
 如意輪堂
 
 醍醐寺女人堂・三宝院に下る道
 不動の滝の表示
 不動の滝
 醍醐の花見跡
 醍醐の花見の説明
 花見御殿が建てられた台地
 女人堂
 女人堂
 醍醐寺仁王門
 三宝院
 三宝院
 醍醐寺入口
 醍醐寺の表示
 西国三十三観音霊場第十一番札所
 醍醐寺の説明
 醍醐寺のGPS表示
 帰宅後のGPS表示
(総距離31.9km、自転車・電車を含む)
本日の歩いた歩数

  午後から自転車で牛尾山麓まで行き、自転車を置いて醍醐山を目指した。

  山科音羽川沿いに歩き、桜の馬場広場に着く。山科音羽川を渡り、横嶺峠・上醍醐の方向に歩く。横嶺別れで、一か月ほど前には右方向の高塚山に向かっている。本日は左の横峰峠の方向に進む。

  山道を進むとまもなく舗装道路に出る。さらに進むと横嶺峠に至る。GPSでは高度408mとなっている。右は直接、醍醐寺三宝院へ下る道である。左の上醍醐方向に進む。

  まもなく小さなな台地が現れる。GPSでは高度448mである。ここで休憩を取った。そしてまもなく五大堂に達する。階段を上がると五大力さんで有名な五大堂である。近くには開山堂がありその前に醍醐山頂450mの表示がある。GPSでは454mの高度を示していた。

  如意輪堂を通り、女人堂・三宝院への下り道を降りた。途中、不動の滝、醍醐の花見跡を通る。花見跡の台地には花見御殿が建てられ、ここに秀吉、北政所、淀君などが集まり、大々的な花見を催したという。

  秀吉は死が近いことを予測して、最後の権力誇示の場にしたようだ。事前に花見御殿を作り、そこまでの山道には茶屋なども作らせ、醍醐寺には700本の桜を植樹するなど、その事前の準備は国家プロジェクトのような大掛かりなものであったという。

  それらの負担は諸藩に命じており、たとえば島津藩ではその負担が多く農民は多大な年貢に苦しんだという。

  今の時代もオリンピックという名のもと、政権の宣伝に使われる催しが準備されているが、この大花見と同じような様相である。オリンピックが終わった後に国民が苦しむようなことがないよう願いたい。

  1時間くらいかかってようやく女人堂に着いた。醍醐寺の仁王門などを見て、三宝院近くで休憩を取った。

  その後、醍醐の街中を歩き、牛尾山麓の自転車を置いたと思われる所に戻った。しかし自転車がない。回りを探したが見当たらないため、今日は近くの京阪電車追分駅から電車で戻ることにした。

  今回不明になった自転車はママチャリで、すでにずいぶん古くなっている。防犯登録されており、もし運良ければ戻ってくるかもしれないと思いつつ諦めることにした。これからは山登りにも、もう一台のサイクリング車を使うことにしたい。

2017年6月21日水曜日

健康診断

 
雨の国道161号線
 国道161号線を歩く
大津赤十字病院への道
大津赤十字病院
 犬塚の欅の説明
 犬塚の欅
 犬塚
 帰りは旧道を歩く
 川瀬太宰邸宅跡
歩いた歩数

  本日は朝から大津市の健康診断を受けに大津赤十字病院に向かった。梅雨に入っても晴天の日が続いていたが、今日はすっかり雨である。長靴を履き、傘をさして出かけた。

  受付で診察券をもらい、X線、血圧、血液、尿、身長などの測定、そして診察を受け11時半ごろ終了した。その後、まだ雨が降り続いているが、病院の南にある犬塚欅を見学した。

  蓮如が京都から逃げて来た時、他宗の門徒による毒殺の企てに対し、忠犬が見代わりになって死んだということで犬塚が作られた。そこに欅を植えて弔ったとの言い伝えである。

  帰りも雨の中旧道を歩いていると、川瀬太宰邸宅跡の石碑があった。初めて知る名前であるが、幕末のころ尊王派として活動していて、新選組に捕まり斬首されたという。明治維新には多くの人の犠牲があったことを知る。

  帰宅して歩いた距離を見ると、6.4kmとの記録であった。夕方には雨も止み、明日は天気がよさそうである。

2017年6月20日火曜日

柳川のせせらぎと鮎(動画)
 本日の歩数
(距離20kmはサイクリング分も含む)

  昨日のブログに柳川の稚魚の動画を載せているが、本日魚を取る大人の人がいてその魚は何か聞いてみた。答えは鮎であった。

  外来種の魚でなくて良かった。今年は特に琵琶湖の鮎が取れないといわれている。それでも琵琶湖に流れる身近の川にも鮎が生息していることにほっとした。近くに住む者にとって、これからも鮎が生きていけるような環境を維持したいと思う。

  鮎は川を遡上し、また流下し河口近くで産卵するという。この1年、散歩で毎日のように柳川土手を歩いているが、そのような場面には出くわしていない。これからは注意して歩いてみたいと思う。

2017年6月19日月曜日

せせらぎと魚

せせらぎと魚(動画)
魚とりに興ずる子供たち
 本日の歩数

  冬には柳川のせせらぎにはほとんど魚は見られなかった。しかし、このごろはたくさんの稚魚の群を見ることが出来る。

  この春に孵化したものと思われ、群れを作ってせせらぎの音の中で泳いでいる。せせらぎの音がより元気な姿を強調している感じである。

  すでにかなりの稚魚は河口から群れを組んで琵琶湖の方へ繰り出しており、これから琵琶湖で成長していくのであろう。

  自然のせせらぎが魚たちを育み、これからも琵琶湖で生き続けていくことと思う。しかし、先日の琵琶湖環境科学研究センターの調査では、外来種の水草が繁殖し琵琶湖の生態が崩れつつあり、そして疎水を通り京都にまで繁殖しているという。魚も外来魚が従来の琵琶湖在来種を駆逐しつつあるそうだ。

  このごろ子供たちが魚とりで遊んでおりいつかその種類を確認したいと思っている。これらの稚魚が在来種であることを願うばかりである。

2017年6月18日日曜日

柳川のせせらぎ

柳川
柳川のせせらぎの音(動画)
(別の音は湖西線電車)
柳川のせせらぎの音(動画)
鳥に食べられている枇杷の実
(柳川土手)
本日の歩いた歩数

  先日は湖畔のさざなみの音に注目してみた。散歩中にいつも耳に入る柳川のせせらぎの音。今まで特に注目もせず聞き流していた。今日は、歩きながらその音に聞き入ってみた。

  規則的な音のようでそうではない。歩くと川の地形が変わり、せせらぎの音も違ったものに聞こえる。歩くことを促しているようである。水を身近に感じる雰囲気である。真夏になると涼しげに感じるのであろう。

  これからも周りの音に耳を傾けて歩くことを色々試したいと思う。

  柳川土手の枇杷の実はたわわに熟していたが、いつのまにか鳥に食べられていた。鳥にとっては最高の食べ物であったのだろう。

2017年6月17日土曜日

コール元独首相

ドイツ国会議事堂(Bundestag)
(写真は2年前ベルリンに滞在した時に撮ったドイツ国会議事堂で、半旗はその前日パリでテロ事件が発生しその追悼のためのものである。)

本日の歩数

  ドイツに住んでいたころ、ドイツの首相はコールさんであった。本日、コールさんが亡くなったというニュースが流れた。

  1990年からドイツに住み始めたが、ちょうど東西ドイツが統一した直後であった。住み始めたころはまだ旧東ドイツは高速道路もガタガタ、空気は汚染され、車はトラバントという軽自動車みたいなプラスチックの自動車、何かにつけて旧西ドイツとの格差があまりにも大きかった。

  2月のカーニバルではコール首相の山車が出て、一つは統一という表示で笑顔のコール首相があり、対照的に苦み腐った顔のコール首相もあった。それには「我々は節約しなければならない」という表現がなされていた。

  あれから27年経ち、見事に困難を克服してドイツは立ち直っている。今では国家財政は常に黒字、世界一の赤字財政の日本と対照的である。

  またEU統合という今までにない試みを推進したのもドイツである。過去の戦争の反省から国境をなくそうという試みである。

  EU統合が可能になったのは、ドイツが先の戦争の責任を痛感し、回りの諸国に対して諸国が納得のいくよう真摯にその償いをしてきたことに他ならない。東西ドイツの統一により大ドイツの再現を心配する声はいつの間にか消えていった。

  東西ドイツの統一、さらにはEU統合の主導的役割を果たしたのがコール元首相であったといえる。今だに周辺諸国との間で先の戦争に対するいざこざが絶えない日本の政治家と違って、対照的で偉大な指導者であったと思う。