USA had Plan of Third Atomic Bomb in Japan
(WEB News of Today)
Walking : around 7 km, 8000 Steps
(Usual Course)
No Record due to Dead Battery of Smartphone
本日は長崎に原爆が投下されて75年目の日になる。投下後、日本がポツダム宣言を受諾することになるが、この後第三、第四の原爆投下も計画されていたというWEB ニュースがあった。
広島、長崎の惨事の結果を受けて、日本ではポツダム宣言受諾の議論が行われたが、それでも軍部は戦争続行を主張していたという。結局天皇の決断で無条件降伏するのであるが、一時、条件付き受諾も米国に打診していたそうである。
条件付き受諾は拒否され、結局無条件降伏となるわけである。もし受諾の判断がさらに遅れていれば、第三、第四の原爆被害が現実化していたことになる。
記事よると、第三には東京が候補になったという。判断がさらに遅れておれば、東京のみならず日本全体が壊滅状況になっていたものと思う。
広島に原爆投下する前には、候補地としては優先順位で、京都、広島、小倉、新潟になっていたという。しかし米国内で京都は古都であり避けるべきとの意見が出て、結局広島が最初になった。次は小倉であったが、当日小倉の天気が悪く急遽長崎に変更されたことなど、この記事で新しい情報を知ることになった。
戦争当時から、私の両親は京都に住んでいた。もし原爆が京都に投下されておれば、おそらく私自身はこの世に生まれていなかったことになる。今生きていることは偶然と思わざるを得ない。
原爆が 京都に投下 我いない
(げんばくが きょうとにとうか われいない)
ポツダム宣言をすぐに受諾しておれば、広島、長崎の惨事もなかったことになる。日本の為政者の判断が遅れたことが、惨事を作り出したといってもよい。当時の為政者の責任は重大である。
現在のコロナ禍の状況を見る限り、来年のオリンピック開催は無理であることはだれが見ても分かる。オリンピック中止の判断がずるずると延ばされている。終戦の時と同じような状況が今進行しているといえる。