2018年12月5日水曜日

モーツアルトのレクイエム

夜のシュテファン大聖堂正面
 12月4日23時30分頃の入場を待つ行列
 聖堂内の席
 合唱団、ソリスト、オーケストラ
レクイエム(動画1)
レクイエム(動画2)
レクイエム(動画3)
レクイエム(動画4)
移動軌跡(ラートハウス、空港)
移動距離 16.81km、16235歩

  昨日はブダペストから帰り一度アパートに戻り、夜中の11時ころからまた市中心部へ出かけた。シュテファン大聖堂でのモーツアルトのレクイエムを聴くためである。

  モーツアルトはウィーンで亡くなり、この大聖堂で葬儀が執り行われている。亡くなったのが12月5日ということで、毎年ここでレクイエムが演奏されている。

  11時半ころにはすでに入口前の通りには長い行列であった。まもなく開場となり聖堂内の席に座った。1000人くらいは入っているであろうか。

  モーツアルトの死亡時間を考えて11時58分から演奏が始まるとのことであったが、曲が流れだしたのは5日の0時を過ぎていた。

  いつもの厳かな響きが教会内を満たす。ソリストの声も聖堂内で響く。その響きの中で合唱のハーモニーは何とも言えない心地良さを与えてくれる。

  1時間の間、あっという間に時間が過ぎてしまった。曲が終わると演奏者が祭司の先導で順番に演奏場所から静かに退出する。

  結局最後まで拍手はなかった。あくまでモーツアルト鎮魂の演奏であると考えれば当然のように思う。いつもと違う静かな演奏会の幕切れであった。

  演奏は Wiener Domorchester、指揮は Gerald Wirth、ソプラノRobyn Allegra Parton、メゾソプラノ Marta Fontanals-Simmons、テノール Guy Elliott、バス Henry Neill で、合唱は The Really Big Chorus で各地から参加している人たちであった。  

  終了後はすでに地下鉄などは動いておらず、タクシーでアパートに戻った。13ユーロで案外安かった。

  24年前にデュッセルドルフの教会でフォーレのレクイエムを聴いて以来の教会レクイエムであった。教会で聴くとやはり宗教行事としての厳粛さを感じる。

2018年12月4日火曜日

ブダぺスト

 オペラハウス前から観光バスに乗る
 
英雄広場の塔
 
英雄広場の英雄像
 英雄広場の英雄像
国立博物館の表示
国立博物館
 国立博物館
 現代美術館
レストランの表示(昼食を取る)
 昼食を取ったレストラン
 レストラン内部
パン付き グラーシュズッペを取る
 シナゴーク
 オスマントルコの攻撃を免れた建物
マーチャーシュ聖堂
(聖母マリヤ聖堂)
 ステンドグラス
 
ステンドグラス
ステンドグラス
ステンドグラス
教会内部
卍模様(東洋の影響)
矢絣模様(日本の影響)
漁夫の砦

砦から見る国会議事堂

砦から見る聖イシュトヴァーン大聖堂
マーチャーシュ聖堂とペスト慰霊塔
ブダペストクリスマスフェアー
アドベント飾り
マーケット
マーケット
大観覧車
聖イシュトヴァーン大聖堂
聖イシュトヴァーン大聖堂
天井
パイプオルガン
祭壇
聖堂前のクリスマスマーケット

ハンガリー科学アカデミー

ハンガリー科学アカデミー
ドナウ川とマーチャーシュ聖堂
セーチェニー鎖橋
ライオン像
橋から見るドナウ川と国会議事堂
点灯されたセーチェニー鎖橋

ドナウ川とエルジェーベト橋

移動の軌跡(ウィーン、ブダペスト)
歩いた距離 11.84km、10178歩

  朝7時15分発の観光バスでブダペストに向かった。ドイツ時代に車でハンガリーをドライブしているが、それ以来の訪問であった。

  今から24年前はウィーンからブダペストへの道は普通の国道で、ブダペストに近くなる所だけ高速道路が出来ていた。しかし今はウィーンから高速道路がつながり、3時間ほどでブダペストに着いた。

  ドナウ川、国会議事堂、英雄広場、国立博物館、現代美術館、セーチェニー鎖橋、マーチャーシュ聖堂、漁夫の砦、科学アカデミーなど、以前に見学した所を見て回った。24年前と何ら変わりがなかった。

  以前と違ったのは、自動車が綺麗になっていたことである。昔は旧東ドイツのトラバント、ロシア製ラーダ、チェコ製シェコダなどの古びた車ばかりであった。今ではベンツ、BMWなどの西欧のきれいな車が多い。

  今回新たに、聖イシュトヴァーン大聖堂、エルジェーべト橋、大観覧車、シナゴーク、オスマントルコからの破壊を免れた建物などを見学した。加えてクリスマスシーズンであり、各所のクリスマスマーケットも散策した。

  オスマントルコに占領された時には教会はモスクに塗り替えられたが、その後追い出した後またステンドグラスなど元の教会の姿に戻している。

  東方の影響を受け、柱の文様には卍模様、井桁模様などが施されている。またオスマントルコにより町は壊滅したが、その攻撃に耐えた建物も保存されていた。

  夕方にはブダペストを出て、20時ころにウィーンに戻った。昼食はブダペストのレストランに案内されたが、久しぶりにパン付グラーシュズッペを食べた。やはりハンガリーのグラーシュズッペは大変美味しかった。

  肉入りスープであるが、船瀬俊介の言う8:2の原理で、動物性食品も食べることで知り合いとの交流を深めた。