2017年12月6日水曜日

日向大神宮

日向大神宮の鳥居
(蹴上三条通り)
疎水を渡る参道
参道階段
境内前鳥居
(手前 舞殿、その奥 外宮、突き当り 内宮)
日向大神宮祭神の説明
外宮の表示
外宮
内宮の表示
 内宮
 天の岩戸くぐり
天の岩戸入口
内部
出口
 御神木(名木)
 清和天皇御手植の桧木
(昭和9年の台風で倒壊)
左 おねがい観音・藤尾神社の方へ進む
右 如意ヶ嶽(上部に見えるのが如意ヶ嶽)
 大文字山への分岐
 大文字山方向に進む
 途中おねがい観音のある台地
(古代寺院礎石を探したが見つからず)
 雨社大神・大文字山方面に進む
手前に進む(右 おねがい観音から)
(左 如意ヶ嶽への道)
 鹿ヶ谷・南禅寺の方向に進む
 左 鹿ヶ谷・南禅寺方向に進む
(右 大文字山方向)
 日向大神宮・蹴上方向に進む
左 日向大神宮・蹴上方向の道に進む
(右 鹿ヶ谷方向)
 日向大神宮への途中の山道
 途中見える景色(山科市街)
左  蹴上の方向に進む
日向大神社・蹴上方向の道
本日の山歩きの軌跡
最大高度約450m(大文字山付近)
歩数 29033歩、総距離 19km(JRも含む)

  夏場の山歩きは、暑さのためかなりくたびれる。ようやく冬になり寒く晴天であり、6月以来久しぶりに山歩きすることにした。

  先日のニュースで幻の山岳寺院跡の礎石が見つかったの話があり、まずはそれを確認できないか行って見ることにした。

  近江神宮南の登り口から歩き、如意ヶ嶽に向かう。その手前で側道に入る。この道は山科藤尾神社に行く道であるが、途中に大文字山方面の細い道にもつながる。その細い道に折れると、まもなくおねがい観音の台地に来る。

  この近くで幻の山岳寺院、檜尾古寺の礎石が見つかったという。辺りを歩いて台地の端から端まで見て回ったが、それらしいものはない。上を見上げるとさらに台地がある様であるが、崖で登るのが難しい。結局、探すのをあきらめることにした。

  ここから大文字山は近いので、次に大文字山を目指した。雨社大神四ツ辻から大文字山の方向に進んだ。途中で鹿ヶ谷・南禅寺方向の道が出てきたので、今日は大文字山へ行くのは止めて、鹿ヶ谷の方向に進むことにした。

  さらに進むと分かれ道として日向大神宮・蹴上方向の道があり、最終的にはこの方向を選んだ。途中山科市街の景色も見ながら、日向大神宮に到着した。

  この大神宮は、京都のお伊勢さんと呼ばれている。小さいながらも外宮、内宮がある。創建は顕宗天皇時代(485年~487年)といわれているが、応仁の乱で焼失し一旦途絶えている。江戸時代に再建されて今に至っている。

  外宮、内宮と詣でると、左には階段があり40mほど先に天の岩戸がある。この岩の穴をくぐると開運、厄除けになるという。

  帰りは参道を下り、疎水に掛かった橋を渡る。下りきったところが蹴上の三条通りとなる。

  三条通りをJR山科駅まで歩いて、湖西線で戻った。歩数29033歩と、久しぶりに長距離の山歩きになった。疲労感はそれほどなく、これからも冬場の山歩きは楽しみである。

2017年12月5日火曜日

桜の木伐採

伐採された桜の木(柳川土手)
切り株に書かれた感謝のことば
 伐採されたもう一つの桜の木(柳川土手)
伐採されたもみじの木(柳川土手)
散歩の歩数 8020

  先日、散歩中に柳川土手の桜の木ともみじの木を伐採作業中のところを目撃している。50~60年の樹齢と思われる桜の木が2本、それにもみじの木1本が切り株だけになっている。もみじは先日ブログに載せた紅葉の木の一つである。

  この土手は民家と接しているところがある。そのお家からの要望らしい。虫がつき迷惑になっていることが原因のようである。

  今まで散歩しながら、春にはピンクの色を楽しみ、秋には真っ赤な紅葉を楽しんでいる。昨日まで気が付かなかったが、桜の切り株に感謝の言葉が記されていた。同じように楽しんでいた人が書き込んだものと思う。

  伐採された木を残念に思うが、仕方がないのであろう。この3本以外の桜ともみじは健在であり、これからも楽しみに散歩を続けたい。

2017年12月4日月曜日

師走の湖畔

 
師走の湖畔(比叡山)
 師走の湖畔(音羽山)
 師走の湖畔
(中央のビル プリンスホテル)
魚釣り
 長命寺山と水鳥
 比良山地
砂浜と 近江富士
近江富士と干し柿(自宅から)
近江富士とヨット(自宅から)
散歩の歩数 8826

  師走になったが、相変わらずいつもの散歩コースを歩いている。この秋の2回にわたる台風の影響で湖畔の砂浜が大きくなっている。

  水草も少なくなり湖畔の水は澄んでいる。歩ていても気持ちが良い。音羽山近江富士長命寺山比良山地比叡山などが望める。

  湖では水鳥が遊んでおり、魚釣りの人、ヨットなどが光景に入ってくる。干し柿を1個づつ食べているが、ますます甘くなっている。冬のシーズンが始まっている。

2017年12月3日日曜日

はしだのりひこ

「帰って来たヨッパライ」の入ったCD表紙
散歩の歩数 8060

  学生時代に「帰って来たヨッパライ」の歌は突然出てきた。あっという間に日本中に広まる。

  ザ・フォーク・クルセダーズの曲であるが、そのメンバーは加藤和彦、きたやまおさむ、はしだのりひこであった。

  この3人は私と同世代でしかも同郷であり、特に親しみを持っていた。加藤和彦は8年前に亡くなっているが、昨日はしだのりひこが死去したとのニュースが流れた。

  クルセダーズ解散後は、「風」、「花嫁」などのヒット曲を出して、音楽の教科書にも載り、私自身もこれらの曲をカラオケで歌ったりして楽しんでいる。

  最近は姿を見なかったが、昨日の報道でパーキンソン病であったという。10年の闘病生活の末であった。

  パーキンソン病は膠原病と並び、難病の一つである。原因は未だに不明で治療も難しい病気である。ガンも含めたこのような難病は、1970年以降の経済高度成長期を境に急増している。

  その背景としては、微量といわれる有害物質が影響していると思わざるを得ない。大気汚染、自動車排気ガス、農薬、食品添加物、水道の塩素、電磁波、放射線、紫外線などなど。加えて自然の食べ物にも微量毒素があるものがあり、影響は無視できない。加えて、たばこ、白砂糖など世の中には健康を害するものがあふれている。

  医学的に因果関係が証明されない可能性もあり、また証明された時にはすでにダメージを受けて死んでいくことになる。少しでも有害物質を取り込まない努力が必要のようである。

  クルセダーズのメンバーの内、加藤和彦、はしだのりひこが天国に召された。天国で両人とも「天国良いとこ」と歌っているかもしれない。一人、元大学教授でお医者さんの北山修だけがラジオ出演などで元気に活動を続けている。

  同世代の有名人が亡くなり、またまもなく平成の時代が終わりをつげる。昭和の時代が遠くなっていく。

2017年12月2日土曜日

京都みなみ会館閉館

京都みなみ会館
散歩の歩数 7683

  昨日のニュースで、京都で現存するもっとも古い映画館である京都みなみ会館が来年3月で閉館するという。建物の老朽化のため取り壊すことになったのが理由。

  子供の時によく見に行っていた映画館である。もうとっくにつぶれていると思っていたが、昨年はそれ以来約60年ぶりに映画を見に行っている。

  興行主は近くで再開すべく場所を探しているとのこと。東京の岩波ホールと同じで、普通の一般的な映画ではなく、世界で地味ながら注目される映画を上映しており、関西地区での貴重な映画館である。

  これからも気に入った映画が来れば見に行くつもりであった。何とか再開してもらいたいと願っている。

2017年12月1日金曜日

散歩道の紅葉

近江神宮の紅葉

福王子神社の紅葉

柳川土手の紅葉

柳川土手の紅葉

柳川土手の紅葉
大津館前の紅葉

際川土手の銀杏

柳川土手の昼顔は未だに花をつけている
散歩の歩数 8230

  師走に入ったが、もうしばらく紅葉を楽しめる。

  いつもの散歩コースでも紅葉が最盛期である。近江神宮のみならず福王子神社、柳川土手、大津館前も鮮やかな赤である。

  今年初めて気が付いたのであるが、際川土手の銀杏も真黄色である。

  一方では、柳川の昼顔はいまだに花をつけている。かなり小さくなり元気はないが、いつまで咲き続けるのだろうか。

2017年11月30日木曜日

高市黒人

 高市黒人の万葉歌碑
(近江神宮)
高市黒人の歌の説明
本日の散歩 7214歩

  先日万葉歌碑の除幕式に立ち会ったが、近江神宮にも万葉歌碑がある。高市黒人の歌である。

「ささなみの国つ御神のうらさびて荒れたるみやこ見れば悲しも」

  天武天皇(壬申の乱の後の天皇)が亡くなって持統天皇の時代に宮廷につかえていたという。天智天皇(天武天皇の兄)時代の大津京を訪れ、荒れ果てた都を見て悲しむ歌である。

  天智天皇が亡くなると息子の弘文天皇が即位するが、すぐに弟の大海人皇子が壬申の乱をおこし勝利し、天武天皇となる。その皇后が後の持統天皇で、天智天皇の娘である。つまり持統天皇は叔父と結婚したのである。

  万葉集を通じて、天皇家の家系の実情を知ることとなった。調べていくとさらにいろいろな事実を知ることになるようである。

2017年11月29日水曜日

タイヤコード

タイヤの構造
(タイヤコードで補強されている)
散歩の歩数 6273

  現役時代はタイヤコードの仕事が長かった。特に最後はタイヤコード製造会社のトップとして気を緩められない日々を過ごした。火災、事故、怪我、そして不正のない会社運営に没頭していた。

  昨日の報道で、コンペチターである合成繊維、いや今では総合化学メーカーの同じ業種の子会社で不正問題が発覚した。規格アウトのデータを改竄していたというもの。

  昨年、会社はその不正を把握していたが公表していなかった。神戸製鋼などのデータ改竄問題が公になり、またネット上で会社に問い合わせが来るなどして、公表せざるを得なくなったという。

  タイヤコードのビジネスは出荷ごとに出荷伝票の他に、検査表を必ずつける。合格の製品であることを証明する書類である。規格アウトの場合、軽度の場合は顧客に特採(特別採用)を依頼して了解が取れれば出荷することが可能である。

  しかし特採の場合、何らかの価格ダウンを要求される。価格を下げて納入し、問題のないことが判明してくる場合がある。それを繰り返していると、その結果価格を下げることを避けるために、ある程度の規格アウトなら使用可能との供給側の勝手な判断でデーター改竄が生まれたものと思う。

  最初にデーター改竄を判断した人はそのまま不正を続けることになるが、いずれ他の人が担当することにより不正が判明する。しかし問題が大きくなることを避けるために、そのまま引き継いでいくことになる。

  その慣例を打ち切ったのが今回の公表と思う。これからの成り行きがどうなるか予想は難しいが、親会社、その子会社の受けたダメージは大きい。日本の製造業で続発する不正は、今始まったものではない。高度成長時代の無理したひずみが、今噴出しているとみる。

  一昨年の杭打ち偽装問題、そして今回のデータ改竄問題と、合成繊維業界の3大企業の2社で不正問題が続いた。残る1社は現役時代勤めた会社である。問題のないよう願うばかりである。

  今回問題のあった子会社は、現役時代にトップを勤めた会社と全く同じ業種である。昨日の報道で、親会社社長、専務、そして子会社社長が3人そろって謝罪している光景をまたも見せられた。杭打ち偽装の場合は建築業ということで業種も異なったが、今回は同じ業種ということで身近に感じる。一昨年の事件の時以上に背筋が凍る思いである。