近江神宮のバス停
京阪バス
田ノ谷峠バス停
田ノ谷峠から見る宇佐山頂上
比叡山ドライブウエー入口
「ふれあいのもり」の看板
「ふれあいのもり」入口
「ふれあいのもり」の山道
サザンカの花
サザンカの木
草木の雪
志賀峠への道
志賀峠への道標
左 志賀峠、右上 ふれあいのもり、右下 北白川
北白川への山道
水の流れに沿った山道
道標
砂防ダム
車の通れる道路
砂防ダム
県道30号に出る
左 山中町への道、中上 県道30号、右上 志賀越道
山中町の白川渓流
山中町の民家
山中の大仏
大仏の説明
山中の道標
山中の説明
山中の道標
県道30号(右上は山中町へ)
ここからは府道30号
地蔵谷不動
天然ラジウム温泉
地蔵谷
身代不動尊
身代不動尊
北白川仕伏町の道標
白川通り
白川通りから今出川通りに至る道
観世音石仏
観世音大仏の説明
志賀越道の道標
大文字山
吉田神社
大日如来石像
大日如来の石碑
京大正門に至る道
京都大学時計台
東山通りと交差
荒神橋
鴨川
比叡山
荒神口
清荒神
御所寺町御門
寺町御門
先日は志賀越道の志賀峠まで登っている。今日は京都北白川の方向に歩くために近江神宮前からバスで田ノ谷峠まで行き、ふれあいのもりから再度志賀越道に入り、京都を目指すことにした。
県道30号を通り、近江神宮前から田ノ谷峠までは15分くらいで着く。バス停から少し大津側に行くと琵琶湖、宇佐山頂上のテレビパラボラアンテナが見える。この峠には比叡山延暦寺に向かうドライブウエー入口がある。
その入り口から少し京都側に下がったところがふれあいのもりの道となる。坂を登ると間もなく平坦な道になり、森の中心部に至る。そこからヴァンデリングできる山道がいろいろあるが、志賀峠方面の道を歩く。昨日から寒く、道にはわずか雪が残っている。時たま小雪が舞うが、間もなく晴れ間が出る。
先日到達した峠下の道標のところに至る。ここから谷沿いに下る。道の横には湧き水が流れるが、これが京都白川の源流の一つと思われる。二つの砂防ダムを通り過ぎると自動車の通れる広い砂利道になる。この広い道は砂防ダム建設時に作られたもので、旧志賀越道はこのダムの下にあるというが道がはっきりしないため広い道を歩く。
そして県道30号に合流するが、旧道は山中町につながっている。山中町に入る。白川は渓流となって勢いよく流れている。昔の面影がしのばれる民家もある。ここにも大仏があり旅の安全を祈っているようだ。
山中町を過ぎると再び県道30号につながる。少し行くと京都市の看板があり、ここからは府道30号となる。30号線は歩道のない自動車道であるため歩くのには注意が必要である。トラック、バスが通るときには道端に立ち止まって身を車道から遠ざける必要がある。
地蔵谷の地蔵谷不動、天然ラジウム温泉、身代不動尊を通り過ぎると北白川仕伏町に到着する。ここは京都市バス3番の終点である。道標には山中越えとの表示がある。
まっすぐに進み白川通りを渡り、今出川通りに達する。ここには石仏があり、昔白川女が花を売りに出かけるときに花を手向けてお祈りしたという。東を見ると大文字山が見える。この山を越えた所が我が家のある大津京である。
志賀越道との道標に従って歩くと、吉田神社、大日如来石像を過ぎ京都大学正門に至る。学生の頃は革マル派、中核派、民青派、社青同派などの全学連の立看だらけであったが、今はそのような政治的な看板は皆無で、京大交響楽団演奏会などの催物の看板ばかりであった。昔、志賀越道はこの京大敷地を斜めに通っていたそうだ。
東山通りを抜けさらにまっすぐと進むと川端通りに出て、荒神橋に至る。鴨川の橋からは比叡山が近くに見える。そして荒神口に至る。京都の七つの出入口(鞍馬口、大原口、粟田口、伏見口、竹田口、東寺口など)の一つである。志賀越道はここが終着点となる。さらに少し歩くと清荒神があり、御所に突き当たる。少し左には寺町通りに面して寺町御門があり御所に入ることが出来る。
志賀里から荒神口まで、15kmくらの距離ではないかと思う。足利義晴にしても昔の人はこの道を使って京都と志賀里を行き来していたと思いめぐらす。
寺町通りを南下し御池京都市役所から京都地下鉄に乗り、京阪電車で浜大津、近江神宮前へ戻った。腰は痛いけれどゆっくりなら歩けることから、これからもヴァンデリングを楽しみにしたい。
その入り口から少し京都側に下がったところがふれあいのもりの道となる。坂を登ると間もなく平坦な道になり、森の中心部に至る。そこからヴァンデリングできる山道がいろいろあるが、志賀峠方面の道を歩く。昨日から寒く、道にはわずか雪が残っている。時たま小雪が舞うが、間もなく晴れ間が出る。
先日到達した峠下の道標のところに至る。ここから谷沿いに下る。道の横には湧き水が流れるが、これが京都白川の源流の一つと思われる。二つの砂防ダムを通り過ぎると自動車の通れる広い砂利道になる。この広い道は砂防ダム建設時に作られたもので、旧志賀越道はこのダムの下にあるというが道がはっきりしないため広い道を歩く。
そして県道30号に合流するが、旧道は山中町につながっている。山中町に入る。白川は渓流となって勢いよく流れている。昔の面影がしのばれる民家もある。ここにも大仏があり旅の安全を祈っているようだ。
山中町を過ぎると再び県道30号につながる。少し行くと京都市の看板があり、ここからは府道30号となる。30号線は歩道のない自動車道であるため歩くのには注意が必要である。トラック、バスが通るときには道端に立ち止まって身を車道から遠ざける必要がある。
地蔵谷の地蔵谷不動、天然ラジウム温泉、身代不動尊を通り過ぎると北白川仕伏町に到着する。ここは京都市バス3番の終点である。道標には山中越えとの表示がある。
まっすぐに進み白川通りを渡り、今出川通りに達する。ここには石仏があり、昔白川女が花を売りに出かけるときに花を手向けてお祈りしたという。東を見ると大文字山が見える。この山を越えた所が我が家のある大津京である。
志賀越道との道標に従って歩くと、吉田神社、大日如来石像を過ぎ京都大学正門に至る。学生の頃は革マル派、中核派、民青派、社青同派などの全学連の立看だらけであったが、今はそのような政治的な看板は皆無で、京大交響楽団演奏会などの催物の看板ばかりであった。昔、志賀越道はこの京大敷地を斜めに通っていたそうだ。
東山通りを抜けさらにまっすぐと進むと川端通りに出て、荒神橋に至る。鴨川の橋からは比叡山が近くに見える。そして荒神口に至る。京都の七つの出入口(鞍馬口、大原口、粟田口、伏見口、竹田口、東寺口など)の一つである。志賀越道はここが終着点となる。さらに少し歩くと清荒神があり、御所に突き当たる。少し左には寺町通りに面して寺町御門があり御所に入ることが出来る。
志賀里から荒神口まで、15kmくらの距離ではないかと思う。足利義晴にしても昔の人はこの道を使って京都と志賀里を行き来していたと思いめぐらす。
寺町通りを南下し御池京都市役所から京都地下鉄に乗り、京阪電車で浜大津、近江神宮前へ戻った。腰は痛いけれどゆっくりなら歩けることから、これからもヴァンデリングを楽しみにしたい。