Sentences after reading Novel "Retiring by Myself"
(My Diary dated 29, January, 1983)
本日も過去の日記を読み返した。1983年1月29日の日記である。この日も小説の読後感想文を載せている。小説は、高杉良の「自らの定年」である。
自分の信念と、会社勤めの使命とのギャップがあるとき、どのように生きるかを問う小説である。
主人公は、自分の信念を曲げてまで会社で働くことを良しとせず、若くして会社を辞する。生きることとは、自分の信念を貫くことと考えている。
管理職になり、部下の首切りをしなければならないときどうするか。自分自身の体験ではそのような場面に遭遇することはなかったが、若いころ有名な大屋社長夫妻の公私混同で我が社も傾き、倒産しかけた時がある。
社長妻 人事に手だし 社傾く
(しゃちょうつま じんじにてだし しゃかたむく)
その時には各課当てに、2名の割り当てで希望退職を募るという合理化策が実施された。当時まだ若かったので声はかからなかったが、年ゆきの人には声がかかった。当時の課長は大変だったと思う。
しかし労組との間で合理化案は結ばれており、むしろ労組がその人を説得するのが現実であった。何のための労組か疑問に思ったものだ。
大屋社長死去の後業績も回復し、その後このような人員整理の話はなかったのは幸いであった。
やめて行った人には割増退職金があったが、その後決して幸せな生活ではなかったと記憶している。
小説の主人公は英語が達者で、会社を辞めて英語塾をしてその後を過ごしたようである。
会社を辞めてまで信念を貫くには、会社に依存しない自分を確立しておく必要があるのは言うまでもないが、自分の信念とどこまで折り合えるかが決断のポイントと思う。
本日は外出する機会が取れず、散歩の記録はない。
本日は外出する機会が取れず、散歩の記録はない。
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