2020年2月15日土曜日

Otsu Castle(大津城)

Stone Wall Imitation of Otsu Castle
Explanation of Otsu Castle
 Map of Otsu Castle
Exhibition of Omi Sengoku Rekishi Roman 
(Otsukan at Lakeside Park) 
 Castle Diorama in Omi District
Explanation of Azuchi Castle
Diorama of Azuchi Castle
Explanation of Sakamoto Castle
Diorama of Sakamoto Castle
Explanation of Seta Castle
Ziorama of Seta Castle
Explanation of Otsu Castle
Diorama of Otsu Castle
Explanation of Otsu Castle Battle
Diorama of Otsu Castle Battle
Explanation of Zeze Castle
Diorama of Zeze Castle
Walking 4.33 km, 5471 Steps
(Dentist, Otsukan)

  先日JR大津駅からの帰り歩いていると、旧大津城を模した石垣があることに気が付いた。

  現在の浜大津からの一帯が大津城であった。秀吉が天下をとった後、明智光秀の城であった坂本城を廃止し、北陸、東海へのかなめの地として大津城を築城している。

  関ケ原の合戦の時には京極田勝次が城主で、東軍についたことから合戦前に西軍に攻められている。抵抗を続け西軍がかなりの戦力を消耗したという。それが西軍の敗戦の原因の一つといわれている。

  徳川の時代になると、大津城も廃止され、家康は膳所に新たに城を造る。やはり東海道、北国街道の要所として管理するのが目的。

  ちょうど今大津館で、近江戦国歴史ロマンの展示会が開かれており、本日歯医者の帰りに見学した。近江の城のジオラマが展示されており、興味深かった。

  坂本城、大津城、膳所城のみならず、長浜城、安土城、彦根城、長浜城など、さらに瀬田城もあった。

  瀬田城の城主は織田の家来、山岡景隆で本能寺の変の後、明智軍と瀬田の唐橋で交戦している。唐橋を焼き落とし明智軍の瀬田川渡りを遅らせ、安土城攻めを不成功に導いたといわれている。

山岡家 瀬田に根をはり 姓残る
(やまおかけ せたにねをはり せいのこる)

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