2017年4月1日土曜日

谷中七福神

 福禄寿(田端東覚寺)
 東覚寺本堂
七福神福禄寿安置との石碑
 隣にある赤紙仁王の説明
 赤紙仁王の説明
 赤紙仁王
恵比寿(西日暮里青雲寺)
青雲寺本堂
滝沢馬琴の筆塚の説明
滝沢馬琴筆塚の碑
布袋尊(西日暮里修性院)
修性院本堂
 修性院の説明
壁に描かれた布袋さん
寿老人(谷中長安寺)
 寿老人(谷中長安寺)
 長安寺本堂
狩野芳崖の墓の説明
 狩野芳崖の墓
 狩野芳崖の墓
毘沙門天(谷中天王寺)
毘沙門天石標
天王寺の説明
 天王寺入口
 天王寺本堂
 大黒天(上野公園護国院)
 護国院の説明
 護国院本堂
 上野不忍池弁天堂参道の賑わい
 弁天堂の説明
 弁天堂
 弁天堂
 弁天堂
 不忍池の桜
不忍池の桜

  谷中七福神は子供が小学生のころ正月に回り、各寺の朱印を台紙にもらいそれを額に入れて今は床の間に置いている。今日は久しぶりに行って見ることにした。

  まずは田端の東覚寺を訪れる。福禄寿を安置している。その隣には赤紙仁王がある。この仁王像に赤紙を貼るとその貼ったところの病が治るという。二つの阿吽仁王像は赤紙で覆われていた。

  次は西日暮里の青雲寺で恵比寿である。ここには滝沢馬琴の筆塚の石碑がある。さらにすぐ近くに修性院の布袋尊がある。この寺の壁にはたくさんの布袋絵のタイルが貼られている。

  谷中に入ると寿老人のある長安寺がある。ここには明治時代の狩野派の絵師狩野芳崖の墓がある。そして谷中墓地の山手線近くには毘沙門天の天王寺がある。

  上野公園に至るが、東京芸大の近くには護国院があり、ここは大黒天の寺である。そして不忍池に達する。ここまで来ると大変な人出に出くわす。不忍池には弁天堂(弁財天)があり、これで七福神をすべて回ったことになる。

  不忍池は琵琶湖をイメージしており、その竹生島を模して弁天島とし、ここに弁天堂を建立している。回りの桜は開花し始めており、たくさんの人で賑わっていた。

  今日はまた寒い日になり開花が遅れ気味だが、東京はいよいよ桜シーズンの最盛期に入る。

2017年3月31日金曜日

芥川龍之介

芥川龍之介旧居跡の説明
芥川龍之介旧居跡
田端文士村記念館

  芥川龍之介の小説はブログで二回引用している。一つは「蜘蛛の糸」、もう一つは「羅生門」である。いずれも学生のころに読んだ小説である。短編であるが、人間の深層を描いている。人間としての生きざまを伝えているように思う。

  今日の散歩はその芥川龍之介が住んでいた田端に出向いた。もともと東京下町出身であるが、大地震の後田端に住み始めている。

  山手線田端駅前には田端文士村記念館があり、戦前の芸術家、作家が多く住んでいた田端に関する展示をしている。明治中期までは清閑な農村であったが、上野に東京美術学校が出来ると、上野に近いここ田端に芸術家が住むようになった。

  大正になると芥川龍之介が住むようになり、室生犀星、菊池寛、堀辰雄などが続々と住居を構えた。先の戦争の空襲で田端が焼け野原になるまでは文士村となっていた。

  先駆けになった芥川龍之介の住居跡が、田端文士村記念館のすぐ近くにある。今は住宅地になっており、そこには表示板があり住居があったことを示していた。

  若くして自分で命を絶つ。その背景には人間の理性として理解しがたい世の中の出来事に対して文学の世界で自分を表現していたが限界に至り、精神を病んだのではないかと思う。

  政治の世界をはじめ本来あってはならないことが続々と起こる今の世の中、芥川龍之介の時代も同じような状況であったのだろうと思わざるを得ない。

2017年3月30日木曜日

ベビーベッド

娘宅のベビーベッド

  昨日娘とが病院を退院した。子供との自宅での生活が始まったということで、孫の顔を見に出かけた。

  着くとちょうどおっぱいをやっている時で、2時間くらいベビーと格闘していた。おっぱいが出にくいようであるが、まもなく寝てしまった。

  ブルーレイのDVDを見たりして時間を過ごしたが、2時間くらいするとまたぐずぐず言い出して授乳の時間になった。今度はおっぱいがうまく出ているようでベビーは満足な顔になっていた。

  その後は目を開けて元気に回りを見まわしていた。日一日と活発になってきている。すくすくと育つことを願っている。

  夕方、娘宅を出たがちょうど通勤帰宅ラッシュアワーに出くわし、地下鉄は超満員であった。大津・京都の混み具合とは比べ物にならない。現役時代、30年に渡ってこのラッシュに耐えてきた。今ではもう無理である。

  これから東京に来たときにはラッシュアワーを避けて出かける必要があると感じる日となった。

2017年3月29日水曜日

駒込の富士

道坂の説明
道坂下交差点
道坂上の交差点
富士神社鳥居
イチョウの木の説明
イチョウの木
駒込ナスの説明
富士神社の説明
 
駒込の富士
浅間神社、富士山の石碑
神社内の桜
富士神社本堂
駒込の富士から見下ろす
本郷通りの六義園の表示
六義園入口
しだれ桜の説明
三分咲きのしだれ桜
桜の花びら
妹山、背山の説明
妹山(石の左)、背山(石の右)

  今日の散歩は東京自宅から六義園に向かった。途中道坂を通る。道坂下から道坂上に至り、右折してさらに歩く。本郷通りの手前に富士神社がある。

  富士神社は小さな丘の上に建っており、ここは駒込の富士と呼ばれている。この近辺には、音羽の富士、白山の富士もあり、三富士といわれる。境内にはすでに満開の桜、保護樹木のイチョウの木、それにこの地区で栽培されていた駒込のナスなどの説明がなされている。

  本郷通りを進むと、六義園の表示に出会う。左に折れるとすぐに六義園の入口になる。桜のシーズンに入り、観光バスで団体客が出入りしている。65歳以上は150円の入場券を買い入る。

  観光客でにぎわっている。入ってすぐのところにしだれ桜が花を咲かせている。三分咲きの状況である。まだ満開には数日かかりそうであるが、それでもピンクの美しい色合いである。

  この庭園は、日本の有名な自然を模して造られており、特に和歌の浦の妹背山を思わせる池・島もある。
  六義園には何度となく来ているが、桜のシーズンに訪れるのは初めてであった。帰りも歩いて東京自宅に戻った。

2017年3月28日火曜日

ゆいの森あらかわ

 ゆいの森あらかわ
ゆいの森の 建物
 ゆいの森玄関
ホールに掲示
吉村昭記念文学館
 入口に掲示された本表紙

  この26日に開館したゆいの森あらかわを訪れた。図書館と喫茶店、それに日暮里出身の吉村昭記念文学館がある。

  図書館は5階まであり、自習室、机、それに子供の遊び場など完備されている。たくさんの子供、学生、一般人などが訪れていた。4階には屋外バルコニースペースがあり、景色も楽しみながらゆっくり過すことも出来る。

  吉村昭記念文学館は2階と3階にあり、いろいろな資料と、原作の映画・テレビ化された画面を鑑賞する部屋も設けられている。

  周辺の桜はまだつぼみであるが、今日は暖かくなりまもなく開花するのではないかと思う。