2017年3月2日木曜日

比叡平

 近江神宮保育園
(左端の細い道を進む)
 表示
 道標
 近江神宮と宇佐八幡宮入口とを結ぶ道
 宇佐八幡宮前の道標
 宇佐八幡宮前
柳川の橋 
(左 大津宮錦織遺跡、右 比叡平)
 柳川土手の紅梅と白梅
 琵琶湖国定公園の看板
 柳川に沿った道
 滝
 道標
 比叡平への登山道
 比叡平への舗装道
 滝
 皇子山カントリークラブの看板
 皇子山カントリークラブの表示
(左 カントリークラブ入口、右 比叡平)
 カントリークラブ入口
 京都市内・北白川方面の表示
 ゴルフ場
 地蔵堂
 地蔵菩薩
 緩やかな坂道
鉄塔への道
 大文字山方向
大文字山への山道
三井寺方向
 三井寺方向への山道
 池の谷地蔵尊への分岐
 池の谷地蔵尊
 池の谷地蔵尊
 池の谷地蔵尊堂内
 池の谷地蔵尊
 薬草園
 薬草園
 比叡平
(京阪バス終点)
比叡平住宅地
(前方の山は比叡山)

  午前中は雨模様であったが、午後には雨もやみ15時過ぎ散歩に出かけた。今日の散歩は比叡山系中腹にある比叡平を往復することにした。

  近江神宮保育園左の脇道を歩く。すぐに宇佐八幡宮の入口に至る。左に行くと柳川の橋となる。橋を渡ると、左は大津宮錦織遺跡、右が比叡平方向である。

  紅梅・白梅、琵琶湖国定公園の看板、滝などを見ながら、柳川沿いに緩やかな舗装道路を歩く。そして道標に出会う。右手山道に入ると比叡平との表示である。おそらく近道と思うが、いつもの舗装道路を進む。

  まもなく皇子が丘カントリークラブの入口になる。夏場は結構ゴルフコースを回っている人がいたが、今は人影はなかった。

  地蔵堂を過ぎてしばらくすると、鉄塔に向かう脇道がある。一度上がってみることにした。鉄塔に手書きで大文字と矢印が書かれている。この山道を行くと如意ケ岳、大文字山に行けるようだ。反対側は三井寺方向との表示である。次回、両方とも歩いてみたく思う。

  再度舗装道路に戻り、さらに行くと分岐となる。左の池の谷地蔵尊に進む。ここにはお地蔵さんがたくさん置かれており、その近辺は薬草園となっている。

  元の舗装道路に引き返しさらに歩くと、住宅地に出る。ここが比叡平である。住宅地の南端の京阪バスの停車場に到達した。ここから山中越え経由京阪三条行と田の谷峠経由JR大津京駅行のバスが出ている。約1時間半のウォーキングであった。

  帰りも同じ道を歩き、近江神宮、柳川土手を経て家に戻った。すでに夕暮れであったが、かなり日も長くなってきている感じである。

2017年3月1日水曜日

コルグT1

KORG T1 の表示
T1と本棚

   ドイツに赴任するときピアノは持って行けないので、シンセサイザーのコルグT1を購入し持って行った。シンセサイザーであるので電子的音楽も奏でられるが、世の中のいろんな楽器の音源が入っており、もちろんピアノも弾ける。鍵盤は88鍵でピアノと同じで、タッチもほぼ似通っている。

  帰国後は東京自宅に置いていた。昨年、つくばから大津へ引っ越すときにグランドピアノは東京の自宅に移し、T1を大津に持ってきている。グランドピアノの下のスペースには自分で制作した本棚を置き、本などを置けるようにしていた。

  大津ではその本棚をそのまま洋間に置いていたが、スペースを確保するためT1の下に置けるよう作り替えることにした。

  一度分解し、T1の下に入るように、さらにはエアコンのパイプも組み込めるように加工した。若干今までのものより狭くなったが、部屋は有効に使えることになった。

  これでベッドもシングル2台が楽々置けることになった。簡易ベッドが2台あり、今までは2台置くとちょっと窮屈な感じであった。これからは来客があっても余裕をもって泊まれるようになった。

2017年2月28日火曜日

きつねうどん

 熊本産薄力粉
 熊本産強力粉
パン焼き器
(生地作りに使用)
イタリア製パスタ作り器
 ゆでる前のうどん
 ゆでた後のうどん
 生しぼり醤油
 三河味醂
煮つけ油揚げ
きつねうどん

  ドイツに住んでいた時には、たびたび家でうどんを作って食べていた。その時に使ったのがイタリア製パスタ作り器。外国にいながら日本の味を楽しんでいた。

  また日本に帰ってからは、このパスタ作り器で蕎麦を作っていた。蕎麦の場合、生地をうまく延ばさないとゆでた時にそばが切れてバラバラになってしまう。うどんの場合はそのような失敗は起こらない。

  久しぶりにパスタ作り器を使ってうどんを食べることにした。いつも使っている薄力粉と強力粉を半分づつ混ぜて、塩、水を加える。ドイツ時代は手でこねて生地を作った。今はパン焼き器を使って15分で生地が完成する。

  そして2時間寝かせた後、パスタ作り器で細長く引き出す。もともとスパゲッティ用の押し出し金具であるため細めのうどんになる。沸騰したお湯で約10分ゆでて、水洗して完成である。

  だしは昆布、椎茸、醤油、味醂で作る。油揚げも同じ材料で煮つけるが、メイプルシロップを追加する。砂糖は使わないが結構甘辛い味となる。

  ゆでたうどんに油揚げ、ネギを添えて、だしをかける。食べてみると、こしは少ないが結構おいしくできていた。むしろ、こしの強いうどんよりも食べやすくてよい。

  パン焼き器は餅も作れるという。またトライしたいと思う。 

2017年2月27日月曜日

LEKIとアイゼン

LEKI
 アイゼン
ゴム製滑り防止具

  山歩きが続いているが、お役立ちはLEKI、アイゼン、それにゴム製滑り防止具である。
  
  特に昨日は壺笠山の頂上に行くのに、崖のような山肌を登ることになった。アイゼンを持っていたので急きょ靴に取り付けた。おかげで滑ることもなく登れた。ただいつもは使わない足の筋肉を使ったので、今日は歩くと痛みを感じる。

  LEKIも山歩きには必須である。不安定な道でもこれさえあれば難なく歩ける。アイゼン、LEKIは20年ほど前に神戸に住んでいたころよく六甲山に登っており、その時に買ったものである。

  LEKIは昨年腰を痛めた時に、街中でも使っていた。これを持っていると電車、バスで席を譲ってもらうこともあった。今はLEKIがなくても歩けるが、座ったり立ったりの動作時にはまだ腰の痛みは続いている。

  この冬は結構雪が降り、ゴム製滑り防止具も助かっている。日ごろの散歩には常に装着している。これは昔、札幌出張の時に千歳空港で購入したもの。

  昨年の断捨離時には、これら器具を捨てるかと思ったが、また山歩きの可能性もあり残していた。判断は間違っていなかった。

2017年2月26日日曜日

壺笠山2

 麓の穴太から見た壺笠山
 
 昨日の分岐
(右に進むと突き当り台地に至る)
分岐から右に少し行ったところ
(赤と青の印が頂上への登り口)
崖のような登り道
急な登り道
崖のような登り道
頂上すぐ下の周遊道
周遊道から頂上へ
頂上
壺笠山(421m)の表示
壺笠山(421m)の表示
頂上
水準点
頂上からの下り
湖の美が丘への下り坂
(白鳥・青山越道)
湖の美が丘への道
(白鳥・青山越道)
 京都一乗寺への道大津側始点
(白鳥・青山越道)
 お地蔵さん
(後ろに大津側始点の谷道がある)
湖の美が丘自治会館
(お地蔵さんの置かれている場所)

  壺笠山の山頂目指して再度トライした。穴太の麓からは壺笠山はすぐ近くに見える。平子谷林道から入り、昨日と同じ壺笠山方面の道の分岐までやってきた。この右を行くと突き当りの台地に至る。

  頂上への登り口がないか注意して歩くと、少し進んだところに赤と青の印が見えた。どうもこれが登山口の様である。しかし崖のような急斜面である。靴にアイゼンを装着して登ることにした。

  ゆっくりと一歩ずつ確実に登る。時には這うようになる。30分くらいであろうか。頂上手前の周遊道にまで到達した。頂上下をぐるりと巡った後、山頂に立った。

  壺笠山(421m)の表示があり、間違いなく頂上である。頂上は木々で覆われており、景色は何も見えない。ところどころに石があるがその昔城であった形跡はほとんどない。お茶を飲みしばらく休憩し下山することにした。

  先ほどの分岐のところまで下山した後、昨日登ってきた湖の美が丘の方に下ることにした。谷道を下ったが、昨日はこの道に途中で入っている。本日は谷道をまっすぐ麓まで下りた。出たところはお地蔵さんの後ろであった。ここは、湖の美が丘自治会館の敷地である。

  京都一乗寺に抜ける、平安時代に出来たという白鳥・青山越道の大津側入口はこの付近だったのだろう。住宅開発が進み、その入り口が分からなくなっている。昨日登り始めた所に比べて分かりにくいが、お地蔵さんの後ろは明確な谷道になっており、昔の街道と思われる。

  白鳥・青山越えとは京都側の白鳥山(古文書に出ているそうだ)と、桜茶屋の大津側近くの青山を越すことから、それぞれの山の名前をとって呼ばれている。

2017年2月25日土曜日

壺笠山

 湖の美が丘住宅地
 壺笠山への入口(道らしいものはない)
 登り斜面(道らしいものはない)
鉄塔への道
 鉄塔
 鉄塔
まもなく谷のような道に出る 
歩いてきた道
 台地に至る
(突き当りの道が夢見ケ丘方向と思われる)
 右 壺笠山への道と思われる
昨日の分岐に至る
(左 今回来た道、右 壺笠山への道と思われる)
壺笠山?
(昨日到達していた台地)

  壺笠山の頂上には城があったといわれる。朝倉・浅井連合軍は壺笠山などに布陣し、宇佐山城主、森可茂と戦っている。森可成が討ち死にした後、信長が急きょ坂本地区に馳せ参じ戦った。しかし決着がつかず膠着状況になったが、最終的には和議となったという歴史の場所である。

  昨日、壺笠山と思われる台地に至っているが、表示もなく実態は不明であった。今日は湖の美が丘住宅地の西にある入口と思われるところから登ることにした。

  急斜面があるだけで道らしいものはない。斜面を登ると鉄塔に至る道に出る。そして谷のような道を登ると台地に出た。さらなる道が2つあり左は夢見ケ丘方面と思われ、右が壺笠山方面と思われるが、表示は何もない。

  右の道を歩くと分岐に出た。ここは昨日通った分岐で、右に歩きその突き当りが台地になっていた。ここが壺笠山かと思うが、何も表示がない。WEBで調べると壺笠山との表示があるという。さらに崖を登る必要があるようであるが、その登り口が見つからない。

  頂上はこの辺りには違いない。頂上にたどり着けなかったが諦めて、昨日通った平子谷林道を通り帰宅した。