2016年11月16日水曜日

貴船と八瀬

貴船川
貴船川の紅葉
貴船川の紅葉
 「蛍岩」の説明
蛍岩
「鳥帽子岩」の表示
鳥帽子岩
鞍馬山方面への橋
鞍馬寺の表示
鞍馬寺西門(鞍馬山登り口)
貴船神社鳥居
参道階段
貴船神社本殿
境内
境内から貴船川を望む
川床
「相生の杉」の説明
相生の杉
貴船神社奥院鳥居
 「思ひ川」橋
「思ひ川」の説明
谷川「思ひ川」
「つつみヶ岩」の表示
つつみヶ岩
「連理の杉」の説明
連理の杉
奥院の門
「御船形石」の説明
御船形石
奥院舞殿
奥院
叡電八瀬駅
八瀬の紅葉
八瀬の紅葉
高野川
高野川
八瀬橋
瑠璃光院門
瑠璃光院の説明
瑠璃光院門前の行列
瑠璃光院付近の紅葉

  久しぶりに京都貴船の紅葉を見に出かけた。子供のころはハイキングなどに出かけていたが、当時貴船川両サイドの真っ赤なモミジが記憶に残っている。しかし、以前訪れた時には紅葉がそれほど鮮やかではなくがっかりしたことがある。

  貴船川に沿って歩いた。子供の時には及ばないが、以前に比べれば鮮やかな紅葉が見られた。途中、和泉式部が蛍の歌を詠んだといわれる蛍岩、大宮人が烏帽子を置いて身を清めた烏帽子岩がある。また貴船神社の手前には鞍馬寺西門があり、ここから鞍馬山に登ることが出来る。

  鳥居をくぐり階段を上がると本殿に至る。参拝した後、さらに貴船川沿いを歩いて奥院に向かった。途中には川床も見られ、夏には賑わっていたことと思う。そして同じ根から生えた2本杉を通り過ぎ、思ひ川を渡ることになる。夫の愛を取り戻そうと思い悩んでいた和泉式部がこの川で身を清めて参拝したという。

  貴船名石であるつつみヶ岩、別々の木が重なっている連理の木を見て、奥院の門に着く。奥院本殿、舞殿の横には御船形石があり、航海するときこの石積みの小石を携帯すると海上の安全が得られるという。

  参拝の後貴船口に戻り、叡山電車で八瀬に向かった。瑠璃光院の紅葉を見に行くためである。八瀬を流れる高野川沿いは紅葉が鮮やかで、貴船より赤色が鮮やかであった。そして瑠璃光院に向かったが、門の前は大変な人が並んで待っている。結局、外まわりの紅葉を楽しんで、中に入るのは断念した。

  京都は今観光客であふれており、静寂の中での観光は出来なくなってしまった。世界的に有名になるのもいいけれど、本来の良さが味わえないのは残念に思う。

2016年11月15日火曜日

大津京跡

 錦織地区
大津宮錦織遺跡の説明
第一遺跡
第一遺跡の説明
内裏南門復原図
柱跡
第二遺跡
 第二遺跡の説明
内裏正殿復原図
 柱跡
柿本人麻呂の歌碑
 柿本人麻呂歌の説明
 第八遺跡
 第八遺跡の説明
第八遺跡 
大津京シンボル緑地
大津京シンボル緑地の説明
 天智天皇の歌碑
柿本人麻呂の歌碑
額田王の歌碑
額田王歌の説明
シンボル緑地の銀杏
柳川の紅葉
柳川の紅葉
柳川の紅葉

  近江神宮の南地区は錦織という。奈良時代に朝鮮半島から織物技術を持った人々が移住したことから、この地名になったといわれている。

  この錦織地区は大津京が築かれたところでもある。日本書紀に記載があるが、その実際の場所はいろいろな説があり確定できないままであった。40年ほど前に錦織地区の発掘が行われ、柱跡などの遺跡が発見されその場所が確認された。

  第一遺跡には南門の柱跡が発見され、第二遺跡には内裏本殿跡も発見されている。内裏の東南端の遺跡は第八遺跡として保存されている。

  飛鳥から大津京に遷都してわずか5年半後に天智天皇(天皇になる前は中大兄皇子)は亡くなり、その後後継者争いの壬申の乱が起こる。勝利した天智天皇の弟、大海人皇子は天武天皇として再び都を飛鳥に移したため、約6年という短い期間の都であった。そのため記録が少なく長い間謎の都であったようだ。

  天智天皇を祀る近江神宮の南に柳川が流れており、紅葉が鮮やかな季節になっている。その柳川に隣接して大津京シンボル公園がある。ここには大津京と関係のある、天智天皇、額田王、柿本人麻呂などの歌碑がある。また銀杏が黄色く輝いていた。