2018年2月12日月曜日

若宮八幡神社

 扁額 若宮八幡宮
 若宮八幡神社の鳥居と表門
 表門の説明
 表門(旧膳所城犬走り門)
 若宮八幡宮の由緒
(天武天皇時代の創建、御祭神 仁徳天皇)
 若宮八幡宮の由緒
(源頼朝と木曽義仲の戦い、応仁の乱で焼失、その後再建)
 舞殿
 本殿参拝所
 本殿
本殿
本日の散歩 5.55km、7693歩

  先日は篠津神社を訪れた後、さらに瀬田の唐橋に向かって旧東海道を南下した。500mほどで若宮八幡神社に達する。

  この神社は、天武天皇時代に創建され、仁徳天皇を祀っている。その後源頼朝と木曽義仲の戦いがこの近く粟津(粟津の合戦)で起こり、焼失している。その後再建されれたが、応仁の乱でまたも焼失し、再度建てられ現在に至っている。

  徳川時代には膳所城主に崇拝されていたが、明治になってから膳所城が取り壊しになりその犬走り門が移築されて表門となっている。

  近くの小さな神社でも古い歴史があるが、この神社も千年を超える歴史の中、宮座という地元の組織で脈々と受け継がれている。

  ここから旧東海道は瀬田の唐橋、さらに建部神社草津宿につながる。

2018年2月11日日曜日

手打ちうどん

手で捏ねて生地とする
麺棒で延ばす
打ち粉をして折りたたむ
蕎麦切り包丁でカットする
5分間茹でる
 野菜天ぷらを添えて天ぷらうどんの完成
本日の散歩 5.55km、7693歩

  今まで、うどんパン焼き器を使って生地を作り、その後パスタ器で成形したり、麺棒で延ばしてカットしたりしている。

  しかし、パン焼き器を使う限り生地が柔らかすぎて讃岐うどんのような腰が得られない。水の量を減らすと硬くてパン焼き器のモーターの容量が足らず捏ねられない。

  そこで生地作りから茹で上げまですべて手で作ることにトライした。材料は今までと同じであるが、水の量をかなり少なくした。ボール内で捏ねて、一つにまとまったところで、のし板に移し力を込めてさらに捏ねる。

  それを丸めて冷蔵庫で寝かし、のし板に戻し麺棒を使って薄く延ばす。かなり薄くなったところで打ち粉をして折り畳み、蕎麦包丁でカットする。

  5分ほど茹でると手打ちうどんの出来上がりである。

  昨夜のおかずの舞茸、かき揚げ野菜天ぷらが残っており、それを添えて天ぷらうどんとして食した。かなりの腰のあるうどんとなった。

  これからはうどんが食べたくなったら、この手打ちうどんを作ることにした。

2018年2月10日土曜日

篠津神社

旧東海道の表示
晴好雨奇亭址の場所
晴好雨奇亭址の石碑
晴好雨奇亭址の説明
(名金工師 奥村菅次住居址)
旧東海道(瀬田の唐橋方向)
篠津神社
 篠津神社由緒
 表門
 表門の説明
(旧膳所城北大手門を移築)
 舞殿
本殿
本日の散歩 距離 5.62km、7712歩
(昨日と同じコースを歩く)
  膳所神社からさらに旧東海道を瀬田の唐橋方向に進むと晴耕雨奇亭の石碑がある。この角には名金工師であった奥村菅次が住んでいたところで、頼山陽が晴耕雨奇亭との名前を授けている。

  そしてすぐに篠津神社に来る。昔は大梵天社と呼ばれていた神社で、江戸時代には本多氏などの膳所藩主から崇拝され寄進などがされている。今の本殿は1661年に作り替えられたもの。

  明治になって篠津神社の名前になったが、正門は旧膳所城の北大手門を移築したものである。ここの神輿の金具は晴耕雨奇亭の名工奥村菅次の作である。

  更に旧東海道を進み、若宮八幡神社に向かった。

2018年2月9日金曜日

膳所神社

膳所神社
 膳所神社鳥居
由緒
 表門
 表門の説明(旧膳所城本丸大手門)
境内
 舞殿
 本殿
 本殿内

  和田神社から旧東海道を南下すると次に出会うのは膳所神社である。この神社は旧東海道から50mほど西に入ったところにある。反対に東に行くと膳所城跡公園で、膳所城があったところでもある。

  鳥居をくぐると、正門がある。これは旧膳所城本丸大手門を移築したもの。本殿前は広い空間になっている。舞殿、本殿がその突き当りに位置している。

  天智天皇時代この地は御厨所があったところで、天武天皇時代に大膳職の御厨神として祀ったという。その後、江戸時代の東山天皇が膳所大明神と宣下され、現在に続いている。

  大津のお城の歴史を見ると、信長時代の森可成の宇佐山城、明智光秀の坂本城、豊臣時代には京極高次の大津城、そして徳川の時代には本多俊次の膳所城と変遷している。今はそのすべてが廃城になっており、史跡だけが残っている。

  大津は関東、北陸から京都に入る要の場所から、為政者は重要拠点として位置付けたものと考えられる。

  本日の散歩はGPSの電池切れのため記録は取れなかった。いつものコースであるので8000歩前後ではないかと思う。

2018年2月8日木曜日

和田神社

和田神社
鳥居と門
縁起
舞殿
本殿の説明
本殿
本殿
銀杏説明
銀杏の木
銀杏の木
なぎさ公園
(比叡山、プリンスホテル、比良山地)
サイクリングの軌跡
(和田神社、膳所神社、なぎさ公園)
サイクリングの距離 15.55km

   石坐神社から旧東海道瀬田の唐橋の方向へ向かうと、まもなく和田神社に至る。鳥居をくぐると門がある。この門は膳所藩時代の藩校である遵義堂の門を移設したもの。

  境内右には樹齢600年といわれる銀杏の木がある。関ケ原の戦いで敗れた石田三成が京都へ護送される途中、この木に繋がれ休憩をとったといわれている。

  持統天皇時代に八大龍王社として創建され、その後生霊天王社と名前が変わり、明治に和田神社となった。この近くの琵琶湖和田浜から名前がつけられた。

  今の本殿は鎌倉時代の建物で重要文化財に指定されている。

  今日はサイクリングで和田神社から膳所神社を訪れ、なぎさ公園を通り帰宅した。