2017年11月13日月曜日

坂本龍一

MOVIX京都(三条新京極)

 映画「Ryuichi Sakamoto CODA」
 MOVIX京都「THEARTE8」にて上映
映画館内部(上映前の宣伝)
映画最後の場面「坂本龍一のコラール」
(パンフレットより)
散歩の歩数 7171

  きのうの朝、地下鉄で宝ヶ池公園に行く前に京都市役所前で降りて、三条新京極にあるMOVIX京都で映画を鑑賞した。この映画館のある場所は昔大きなうなぎ料亭があったと記憶している。

  映画の題名は「Ryuichi Sakamoto CODA」である。この5年間の坂本龍一の日常を描いた作品である。

  坂本龍一が世の中にデビューしたのは、シンセサイザーを駆使した音楽で旋風を巻き起こしたYMO(イエローマジックオーケストラ)の一員としてであった。当時はその存在を知らなかったが、その後大島渚監督の映画「戦場のクリスマス」で俳優として出演、しかも音楽も担当し、その音楽で知ることになった。

  その後ドイツにいるときに、「ラストエンペラー」のビデオを見て、その音楽の素晴らしさに感動した覚えがある。その後何回もこのビデオは見ている。

  加えて福島原発事故後は、原発撤廃運動に積極的に参加していて心強く感じている。しかし、一時がんとの闘病生活で仕事を休んでいたが、今年「async」と題した音楽を発表し新しい切り口での音楽活動を再開している。

  今までの映画と音楽、日常の生活の様子などのドキュメンタリ映画であった。有名な音楽が次々と流れ、映画館特有の素晴らしい音響の中での心地よい1時間半であった。

  最後の場面は、ニューヨークでの200人の聴衆だけの前で演じた自身によるコラールの演奏であった。シンセサイザーであるが、オルガンの響きの中バッハの雰囲気があり、いつまでも聴いていたかった。

  坂本龍一はもともとクラシックの出身であるがため、最終楽章(CODA)としてコラールのような古典音楽に行きついたのかもしれない。来年初めにはこのコラールも含めた新しい映画が公開されるとのことで、また見に聴きに行きたいと思う。

2017年11月12日日曜日

ヴィーガングルメフェスティバル

 ヴィーガングルメフェスティバル(京都宝ヶ池)
出店地図
紅葉
巻きずし(玄)
フライ(玄)の表示
フライ(玄)
海苔と8年梅お結び(玄)
チョコレートケーキとアップルケーキ(玄)
どら焼き(玄)
紅葉
カカオマジック
チョコトルテ(カカオマジック)
塩焼きそば(めぐみえん)
CHOICE
はくいの夢の説明
 にぎり寿司は売り切れ(はくいの夢)
つぶつぶの看板
つぶつぶ
 子供ヨガ(背後の建物は国際会議場)
 ヨガ(背景は比叡山)
 移動の軌跡
移動距離 27.1km、歩数 9372

  昨年のヴィーガングルメフェスティバルは梅小路公園で開催されている。今年は宝ヶ池公園で催された。往きは地下鉄で向かった。

  すでに公園は紅葉が綺麗で、青空に国際会議場、比叡山が見える。

  入口には玄があり、昨年と同じように巻きずしなどを購入した。昨年のようなにぎり寿司は売り切れであった。また、めぐみえんでは塩焼きそばも購入し、ベンチで昼食をとった。

  お腹がいっぱいになったが、カカオマジックの店もあり、チョコタルトを買いデザートにした。いつものCHOICE、つぶつぶなども出店していた。

  帰りは宝ヶ池から市バス5番京都駅行に乗った。紅葉の観光客が多く、途中バスは超満員になった。やはり外国人が多い。

  京都駅では170円の支払いで済んだ。地下鉄と市バスを利用すると、後の料金が割引になるという。PASMOを使うと自動的に割引になっていた。今では東京地区のPASMOが関西でも使えて大変便利である。

2017年11月11日土曜日

オリーブの摘み取り

大きい方のオリーブの木
オリーブの実が黒く熟した
オリーブの実が黒く熟した
 摘み取ったオリーブの実
 水に浸してアク取りを始める
散歩の歩数 6648

  ベランダには2本のオリーブの木がある。ようやく大きい方の木の実が黒く熟した。鳥に食べられる前に、今日摘み取った。

  全部で30個ほどあるが、青いものも2個ある。すべて水に浸してアク取りを開始した。毎日水を変えて10日ほどでアクが取れるという。その後塩水に漬けて保存する。

  一方小さい方の木にも60個くらいの実が出来ているが、木が小さいためか、種類が違うのか、実の大きさはずいぶん小さい。まだ青いのでもう少しそのままにしておく。

  毎月初めには天然酵母パンを焼いており、12月にはオリーブパンを作りたいと思っている。

2017年11月10日金曜日

サイクリングと散歩

サイクリングの軌跡
(穴太、日吉大社、西教寺、旧北陸道)
サイクリングの距離 16.2km
湖畔散歩
(台風で倒れたマツノキが修復された)
 湖畔散歩
(台風により砂が入り込んだ小川)
湖畔の釣り人がブラックバスを釣る
 湖畔散歩の歩数 3758
今日の移動距離 19.31km、総歩数 4762

  今日は秋晴れですがすがしい日となった。それで、まずはサイクリングに出かけた。湖畔公園から、近江神宮前を通り、県道47号を北に走る。穴太から日吉大社に至る。途中坂が何回かあるが、登り坂は自転車を押して歩く。

  日吉大社はすでに木々が赤く染まっており、紅葉のシーズンで観光客も多い。旧竹林院も紅葉が見られ、観光客が入っていた。さらに進むと西教寺に達する。ここも紅葉が綺麗である。

  ここで右に折れ、琵琶湖に向かって坂を下り、旧北陸街道を走る。旧街道沿いにある寺、神社を見ながら湖畔公園に戻った。

  そして湖畔公園は散歩である。この台風で倒れたマツノキは修復されていた。琵琶湖に流れる小川は台風により増水した後、砂が流れ込み以前とは違う川筋になっていた。

  また台風により砂がかぶった舗装道路も、砂が除かれ歩きやすくなった。その湖畔で釣りをしている人が、大きなブラックバスを釣り上げるところを目撃した。毎日のように釣りを楽しんでいる人で、近くに住んでいるようである。

2017年11月9日木曜日

あんぽ柿

あんぽ柿になった甲州百目柿
あんぽ柿
散歩の歩数 8574

  甲州百目柿を吊るし柿にして9日経った。すでにあんぽ柿になっている。全部で20個出来ているが、早速2個取り込んで食べた。

  ほんとうにあんぽ柿のようで柔らかく甘い。もともと350gくらいあったものが、150gくらいに減少していた。それだけ水分が飛んだということである。

  1個150gといえば、ご飯一杯分くらいの量である。あと18個ある。しばらく楽しんで食べられそうである。

2017年11月8日水曜日

悲愴ソナタ第一楽章

悲愴ソナタ第一楽章の出だしの楽譜
悲愴ソナタ第一楽章の練習(動画録音)
散歩の歩数 6563

  指の訓練のためハノンも練習しているが、ハノンだけでは面白くないので悲愴ソナタも合わせて練習している。第一楽章は厳かな悲愴らしい響きであり、特に出だしが劇的である。

  若い時にはもっと早く音符を読み取り指も動いていたが、今ではそうはいかない。地道に練習するしかない。素晴らしい曲なのでつまりながらでも楽しめるのは幸いである。

  グランドピアノのような響きはないが、それでも今の自分にとっては十分である。

2017年11月7日火曜日

故郷を離るる歌

FMラジオ番組「音楽遊覧飛行」
散歩の歩数 6614

  今日のFMラジオ番組「音楽遊覧飛行」はふるさとの歌であった。その中で「故郷を離るる歌」が流れた。

  この歌は記憶に残る歌である。音楽を好きになる機会を得たものである。それは、京都市中学生音楽祭で独唱したことにある。

  音楽の教師が急きょ音楽祭のために合唱団を結成した。その人選にかかり、しかも合唱と共に独唱もすることになったもの。今のロームシアター京都メインホールであった。

  これを境に、合唱を始め、ピアノも練習しだした。それ以来音楽との付き合いはずっと続いて、生活に潤いをもたらしてくれている。音楽教師は怖い男の先生であったが感謝である。

2017年11月6日月曜日

孤独のすすめ

 五木寛之作の「孤独のすすめ」
サイクリングの距離 10.2km

  昨年の引っ越し時、断捨離を徹底した。70歳を迎え終活の意味もあり、大きな家具のみならず、電化製品、小物、衣類、本、書類など家にあるものすべてを見直した。

  加えて人のつながりについても、現役時代の人間関係はなくし、親戚と僅かな友達以外は年賀状のやり取りも止めた。おそらく来年の年賀状はわずかなものとなるはずである。

  両親が亡くなった後、家の整理に大変困った経験がある。人生で一番忙しい時に亡くなっている。家財道具の他、庭には物置2個、仕事部屋には無数の道具、備品などがあった。

  地理的に離れているためしょっちゅう家に来ることは出来ない。明日は出張しなければならないという時に整理するのは難しい。結局、家の中にあるものすべての処分も含めて二束三文で不動産業者に売却した。今だったら十分に時間があり、一つ一つ調べて整理し、売却など出来るのであるが。

  断捨離の際にはタンスなどの大物をまずは処分し、この数年使っていないものはすべて処分した。案外書籍・書類が多いが、これも基本的にすべて処分した。唯一残したのはアルバムである。

  最近「孤独のすすめ」という本が売れているという。読んでみると、人生50歳(今は60歳と思う)を過ぎると、下り坂を歩むことを自覚して孤独を楽しむとよいという。山登りの登り坂では景色を楽しむ余裕はないが、下り坂では楽しむことが出来る。人生も同じで、登りの人生前半の思い出を回想することにより、人生の下り坂を楽しく降りられるという。

  そこで昔を回想するにはいろいろな思い出のものを残しておいた方が良いという。しかし、自分が亡くなった後の子供のことを考えると余計なものを残すわけにはいかないと思う。アルバムだけでも残したのは正解であったのかもしれない。

  もちろん人生の上り坂でも、トラウマになるような苦い経験もたくさんあるが、それも含めて楽しむということと思う。時たまアルバムを見ることはあったが、今までは一人で音楽を聞いたり演奏したりするのが楽しみであった。これからは加えてアルバムも開けたいと思う。パソコンが普及してからはメモリーに入っており、ほとんどスペースをとらずに大量の写真・動画が残っている。新たな発見もあるかもしれない。

  孤独の意味には、群れないという意味も含んでいる。これからの日本は極端に言えば、60歳以上の人が働き盛りの人より多くなるような状態になるということである。僅かな若い人が年金生活者を支えるという前代未聞の事態が現実となる。年金生活の老人が群れて世の中を闊歩しているのを若者が見て、嫌老意識が出てくる心配があると指摘する。

  下り坂の人生を自覚して孤独の生活を楽しむのが、これからの老人の進む道との話である。嫌老意識が顕在化すると、年金負担者と年金生活者との間で階級闘争のような世界になると危惧している。

  一方でそのような世の中にならないよう、年金生活者でも収入のある人は、年金の返上も考えるべきではないかと主張している。全く同感である。