2025年4月11日金曜日

Cherry Blossoms in Ueno Park(上野公園の桜)

Shinobazunoike(不忍池) in Ueno Park
Cherry Blossoms at Shinobazunoike
Cherry Blossoms at Main Street in Ueno Park
Cherry Blossoms in front of National Science Museum
(Sculpture of Blue Whale / シロナガスクジラ  behind of Cherry)
Breakfast of Today at Vegan Restaurant Nezunoya

 Lunch Plate of Ikada-Age

  朝の散歩ジョギンはしないで、ヨガ・柔軟体操・筋トレなどを実施後根津の谷で朝食をとった。

  根津の谷に着いた時刻はすでに昼時で、本日のランチ定食はレンコンの竜田揚げであった。

  練りレンコンで作った筏揚げで、タレがうまく絶妙の味であった。この他、春雨サラダ、大根そぼろ味噌のせ、サツマイモの天ぷら、それに味噌汁がついていた。

  お腹がいっぱいになって、近くの上野公園を散策することにした。

  不忍池にはたくさんのボートが出ている。桜は満開で、外国からの観光客でいっぱいであった。

  上野公園のメインの桜並木は満開を過ぎて、葉桜になりつつあった。ここも外国からの観光客で賑わっていた。

上野の地 桜満開 外人も
(うえのち さくらまんかい がいじんも)

  建物の前にあるシロナガスクジラの造形物で知られる国立科学博物館前の桜も満開であった。

  この後、JR山手線鶯谷駅まで歩き帰宅した。東京でも桜を楽しむ日となった。

2025年4月10日木曜日

Funeral(告別式)


Funeral Place
Name Plate of TEIJIN Limited President at Altar

  本日は、亡くなった友達の告別式に出席した。

  会場の祭壇には弔花がたくさん置かれていたが、その中には現役時代の会社の現社長の名前も見られた。

  告別式にも僧侶、神主の姿はなく、読経、祝詞もなく無宗教の式であった。結局本日は、故人の経歴の詳しい説明と、友人の逸話ばなしで故人を偲ぶ会であった。バックグラウンド音楽として、グリークラブの歌声などが静かに流れていた。

  無宗教とは言いながら参列者全員が焼香をした後、棺に愛用していた楽譜、そして花などを入れて最後の別れの時間を過ごした。その間音楽はフォーレのレクイエムに変わり、荘厳な雰囲気の中で棺は閉じられ告別式は終わった。

  この5年ほど身近な人の死に接しても、コロナ禍のため葬儀に出席することはなかった。久しぶりの出席であったが、従来の葬儀とは全く異なった無宗教の式で、初めての経験であった。

初めての 無宗教での 葬儀かな

(はじめての むしゅうきょうでの そうぎかな)

  これからはこのような葬儀が普及していくような気がする。

2025年4月9日水曜日

Funeral Wake(通夜)

Full Bloom of Cherry at my Residencial Building in Tokyo

Tamanagayama Memolead Hall
Vegan Ramen of Afuri in Roppongi
Menma

  亡くなった友達の通夜、葬儀に出席するため、朝から東京に向かった。

  東京自宅に着くと、自宅マンションの桜も満開である。このマンションができてすでに44年経つ。今では立派な木に成長し、誠に美しい光景を作り出している。

  夕方から、多摩永山メモリードホールで通夜が執り行われた。

  通夜の席には、以前のカルテットのメンバーが勢ぞろいしていた。今回の通夜は普通の通夜とは違って宗教色は全くなく、故人が生涯楽しんだ合唱の披露が中心であった。

  故人が活動していた多摩地区の3つの合唱団と、大学時代のOBグリークラブの合唱を聴かせてくれた。

  特に最後に演奏した大学時代のOBによる合唱は、グリークラブ独特のハーモニーが素晴らしく、久しぶりに生のハモる歌声を堪能させてもらった。

  演奏の後、通常の焼香をしている。その後別の部屋で食事を取りながら歓談して、個人を偲んだ。

通夜の席 合唱でしのぶ 生き様を
(つやのせき がしょうでしのぶ いきざまを)

  カルテットのメンバー以外にも昔の会社時代の同僚に出会うこともできて、懐かしい限りであった。

  今までにない通夜の内容で、個人の生き様をしみじみと懐かしむ日となった。

  帰り、六本木の阿夫利に立ち寄り、メンマ付きビーガンラーメンを食べて東京自宅に戻った。

2025年4月8日火曜日

Orbituary(訃報)

 

Full Bloom of Cherry in Yanagasaki Lakeside Park

  本日メールで、高校時代からの同級生が亡くなったとの連絡が入った。大学は違ったが就職も同じ会社になり、生涯の友達であった。

  高校は新設の高校で、早速合唱部を立ち上げた。その時に集まった中にその同級生もいた。混声四部合唱の中で貴重なテノールであった。

  彼は高校卒業後も大学で合唱を続け、卒業後偶然にも同じ会社に入ることとなった。小生は就職後、一時合唱をトライしたが出張が多く練習に行けないことから諦めていた。

  しかし彼は、大学OB合唱団などいろいろな合唱活動を続けていた。退職してからも、会社同期でダークダックスのようなカルテットを結成し、小生も参加しお互いに楽しんでいた。

  東京を離れてからはカルテットに参加することはなかったが、この3月まで月一の練習には参加していたという。

  その仲間の話によると、昨年の秋ごろから腰が痛いと嘆いていたそうである。そしてこの4月初めに心不全で亡くなったとの訃報である。

  癌経験者から推測するに、すでに昨年には内臓の癌による痛みが腰に来ていたものと推定する。本人は今まで至って健康で活動的であり、癌など考えても見なかったのではないかと思う。

  転移などしすでに手遅れになり、最終的には心不全で亡くなったのではないかと思う。身近な人がどんどん癌で亡くなっていく

  生物学的には生涯の細胞分裂の回数から、人は本来120歳まで生きられるという。この120歳というのは、究極のヨガの世界で125歳まで生きられるという年齢に近い。

  この世の中残念ながら、大気汚染、放射能、添加物、農薬、水道の塩素、それに肉、牛乳などの動物性食品など、正常な細胞を阻害するもので覆われている。それゆえ、120歳には届かないのである。

  この1月の日本の死亡者は前代未聞の数に激増しているそうである。火葬場待ちが日常化しており、この友達の葬儀も10日遅れになっている。

  少しでも有害物質を取り込まない努力と、動物性食材を摂らないビーガン生活を心がけておれば、もう少し長生きできたものと残念に思う。

  今の生活を続けることの重要性をますます感じる日となった。

  一方、悲しい連絡とは関係なしに大津も桜が満開になった。

友の死に 桜満開 慰めや
(とものしに さくらまんかい なぐさめや)
   
  せめてもの慰めである。

2025年4月7日月曜日

Hanging Scroll(掛け軸)

Hanging Scroll ( Written by Hashimoto Hogyoku/橋本峰玉) until Now
New Hanging Scroll (Written by my Wife) from Now

  あかつきの会のかな書展は、昨日終了した。そして出展していた妻の作品が自宅に戻ってきた。

  早速和室の簡易床間にある掛け軸を、従来の橋本峰玉書から妻の書に取り替えた。

万葉集八巻より 尾張連(おわりのむらじ)の歌

うちなびく はる来るらし 山のまの
とほきこねれの さきゆく見れば

  和室の趣も変わり、当分はこの掛け軸を味わうことになる。

2025年4月6日日曜日

Swallows arrive(玄鳥至/ツバメきたる)

Swallow in Nest of neighboring Residence Building 

  暦では、4月4日から8日を玄鳥至(ツバメきたる)と言ってツバメがやってくる時期としている。

  今朝ジョギングから帰る時、隣のマンションのツバメの巣にツバメがいるのに気がついた。

桜咲き 玄鳥至の 時期となる

(さくらさき ツバメきたるの じきとなる)

  もう一羽が近くを飛び回っており、ツガイが戻ってきた。本日は4月6日で、暦通りの来日である。

  すでに巣はあるため、これから卵を産み抱卵し、子育てに入るものと思う。

  今年も子育ての様子を観察したい。 

2025年4月5日土曜日

Harvesting Radish(大根収穫)

Radishes in Planter at my Balcony
Harvested Radish
After washing (Radish and Leaves)

  ベランダで育てている大根は食べころになっているので、一本だけ収穫した。

  形は変な格好に成長したが、立派なみずみずしい大根である。

ベランダで 大根育つ みずみずし

(ベランダで だいこんそだつ みずみずし)

  大根は煮物に使ったり、大根おろしにしたりして味わいたい。また葉っぱも立派であり、毎日の味噌汁の具の一つとして使うつもりである。

  ベランダの大根はまだ数4〜5本残っており、順次収穫して味わう予定。

2025年4月4日金曜日

Moss Fhlox(シバザクラ)

Moss Fhlox at Bank of Yanagawa

Japan Quince(クサボケ)

Full Bloom of Downy Cherry(ユスラウメ)

  大津でも桜が開花しているが、柳川では新たにシバザクラが赤紫の花を開かせている。

  広島は三原に住んでいた時、広島の高原地帯世羅にあった芝桜公園を訪れている。広大な一面のシバザクラを思い出す。

芝桜 世羅の公園 思い出す
(しばざくら せらのこうえん おもいだす)

  また朱色の花が土手にへばりつくように咲いている。これはボケの種類で、ボケのように木にはならず、草状態で成長するという。

  そして、ユスラウメは満開になった。桜を小さくしたような濃いピンク色の花である。

  春を楽しんでいる。

2025年4月3日木曜日

Cherry Blossoms at Oumi-Shrine(近江神宮の桜)

Cherry Bloossoms at Approach to Oumi-Shrine
Cherry Blossoms in front of Main Shrine
Weeping Cherry Blossoms at Precinct of Oumi-Shrine
Flowers of Dandelion at Bank of Yanagawa

  大津もようやく桜が開花した。

  近江神宮一の鳥居を入ると参道の桜が開花し、ピンクのトンネルとなった。

  境内に入ると枝垂れ桜も開花し、本殿前のソメイヨシノはほぼ満開になっていた。楼門の朱色と空のブルーにピンクが冴える。

水温む ピンクに青朱 社かな
(みずぬるむ ピンクにあおしゅ やしろかな)

  一方柳川土手には、タンポポも花を開かせた。今年は随分開花が遅い。そして今のところ日本種である。

  そういえば東京隅田川の土手も、日本種のタンポポだけを見てきている。遅れてまもなく西洋種も出てくるのか、観察したい。

2025年4月2日水曜日

Akebono-Kai(あけぼの会)

 

Biwako-Otsukan

Akenobono-Kai Kana Shoten
Tatsuno Syusui(辰野秀翠)
My Wife 's Jofuku Kana-Sho(条幅かな書)

  昨日から琵琶湖大津館で、あけぼの会のかな書展が開催されている。妻が入っている会である。

  朝食の後、書展を見に出かけた。琵琶湖大津館前の桜もようやく開花し始めていた。

  橋本峰玉が主宰していたかな書のあけぼの会は、2年前の主宰者の死去に伴い、その後弟子である辰野秀翠が跡を継いで、活動を続けている。

  その活動の場は琵琶湖大津館で、昨日からかな書展を開催している。妻も作品を出展しているとのことで見に出かけた。

  会場の入り口には「かな書展」という看板があり、この字は橋本峰玉直筆のものという。

  入ってすぐのところには、辰野秀翠の条幅かな書が掛けられていた。

春は花 夏はほととぎす 秋は月
冬雪さえて すずしかりけり
『道元禅師』

  そして会員の作品がずらりと展示されていた。妻の作品の一つとして条幅かな書もあり、その内容は万葉集第8巻からのものであった。

うちなひく はる来るらし 山のまの
とほきこねれの さきゆく見れば

  書のことは得意でもないが、春先の自然を表現した歌で何か魅力的な掛け軸と感じた。

  展覧会が終われば、自宅の和室の簡易床間に飾りたいと思う。

2025年4月1日火曜日

Shiga-Village(滋賀里)

 
Landscape of Shiga-Village

(Rice Field, Biwa-Lake, Oumi-Fuji)

  今朝は、久しぶりに際川コースをジョギングした。

  際川の土手も桜は蕾の状態で、開花にはもう少し日数が必要なようであった。

  近江神宮に至る途中、滋賀里の高台から琵琶湖が望める。手前は田んぼの田園風景で、その後方には琵琶湖、そして対岸には近江富士が見える。

  いつものことながら絶景である。

滋賀里の 高台からは 絶景かな

(しがさとの たかだいからは ぜっけいかな)

  午後には娘の婿と孫がやってきて、ゲームなどして遊んだ。また孫は、簡易床間に置いてあったコマを見つけて、コマまわしをトライしていた。

  まだコツがわからないようであるが、一回だけ床にコマを回すことに成功している。興味があるようで、うまくなるものと思う。

  娘は仕事の関係で東京にいるが、孫達は明日から四国を旅する。