2017年4月25日火曜日

矢橋湊

 矢橋の帰帆の説明
矢橋湊跡
(現在は貸ボートの船置き場、左 矢橋帰帆島、中央 帰帆大橋)
 矢橋公園

矢橋公園表示
与謝蕪村の句碑
与謝蕪村の句
公園内
常夜燈
矢橋公園入口(矢橋道)
矢橋道

清浄寺

梅川の墓の説明
矢橋道
矢橋交差点
 
梅川の道標

十王堂跡(梅川終焉地)

梅川終焉地の説明
鞭崎八幡神社

矢橋道の説明

矢橋道

猿田彦神社

正光寺

JR琵琶湖線で行き止まり

近くのトンネル

矢橋道の続き
旧東海道矢倉につながる

左 旧東海道、矢橋道の道標

  江戸時代に東海道矢倉からの近道として矢橋道を通り、矢橋湊から渡し船で大津に向かう航路があった。一方、急がば回れのことわざにもなっている。天候不順により遅れたり欠航したりすることもある渡しよりも、遠回りでも唐橋経由の陸路の方が確実で早いという意味である。

  今はこの矢橋湊はなく、貸しボートの船置き場になっている。その前には帰帆島があり、中央には帰帆島への大橋が見られる。

  矢橋湊跡の土手下には帰帆公園があり、矢橋の帰帆の説明がなされている。公園の入口には常夜燈があり、そこからが矢橋道と思われる。

  矢橋通を通り、旧東海道矢倉に向かう。まもなく清浄寺がある。この寺は近松門左衛門の冥途の飛脚の主人公のモデル、梅川の墓があるところである。亡くなったのはさらに200mほど進んだ十王堂である。その向かいには源頼朝伝説の鞭埼八幡神社がある。

  さらに進むとJR琵琶湖線のため行き止まりとなる。少し北に行くとトンネルがあり、それを抜けて矢橋道の続きにつながる。

  そして、旧東海道矢倉に達する。その角には矢橋道の石標が立っている。江戸時代には旅人で大変賑わったとのことである。

  近松門左衛門の冥途の飛脚の話はおおむね知っていたが、身請けした男が横領の罪で処刑された後、梅川は余生をここ近江で過ごしたということを初めて知った。男の死は、遊郭から一人の女性を救ったという意味もある。決して無駄ではなかったといえる。

  ゆっくりと見て歩くことは新しい事を教えてくれるようでこれからも楽しみにしたい。

2017年4月24日月曜日

矢橋帰帆島公園

矢橋帰帆島公園の表示
案内板
せせらぎの池の表示
せせらぎの池
道標
淡海環境プラザの表示
淡海環境プラザ
琵琶湖流域下水道湖南浄化センターの表示
琵琶湖流域下水道湖南浄化センター
 帰帆北橋
 帰帆北橋(東から見る)
帰帆北橋
帰帆北橋
橋から見た帰帆島
橋から見た近江富士と帰帆島
 帰帆北橋(西から見る)
魞(エリ)
湖岸緑地(帰帆島地区)の説明
湖岸緑地
 湖岸緑地
 湖岸緑地から音羽山を望む
(右はプリンスホテル)
パノラマ解説板
 比叡山を望む
 芭蕉の句碑
 カイツブリの句
 帰帆南橋
帰帆南橋
帰帆南橋からの帰帆島
近江大橋の夕暮れ

  近江八景の矢橋の帰帆で知られている矢橋湊は今はない。近年になり人工島、矢橋帰帆島が出来て、湊はなくなった。この人工島には公園と環境センター、下水浄化センターがある。

  島の湖岸は緑地公園になっており、ここからの琵琶湖の風景には趣がある。音羽山、比叡山を望み、プリンスホテルをはじめ大津市内も一望できる。

  この湖岸公園には芭蕉の句碑もある。カイツブリの様子を句にしている。

  帰り夕日が沈み、音羽山から比叡山に至る山並みの方を見ると雲がかかっているが、西の京都方向は晴れているようで夕焼けが美しかった。明日も天気が良いのであろう。