2017年1月20日金曜日

逢坂の関と小関越えの道

 関蝉丸神社
 鳥居
 関蝉丸神社の説明
 舞殿と本殿
 国道1号線を見下ろす
 逢坂山関址
 逢坂の関の説明
 逢坂の関跡
 蝉丸神社
 蝉丸神社の由緒
鳥居
 神社の舞殿と本殿
 旧東海道(大谷地区)
 坂上田村麻呂の石像
 坂上田村麻呂の説明
 日本そろばん発祥の地(追分)
 天智天皇陵
  天智天皇陵入口
 参道
  天智天皇陵
 天智天皇御陵の石碑
 天智天皇陵参道に向かって
山科疎水
 疎水
 ジョギングコース説明
 日本最初の鉄筋コンクリート橋の石碑
日本最初の鉄筋コンクリート橋(鉄柵で囲われている)
 疎水トンネル(トンネルを超えると京都蹴上)
 大津方面 小関越えの道(疎水トンネルに沿って)
 小関越えの道
 小関峠
小関峠の地蔵堂
 峠の地蔵の説明
 峠の地蔵
 大津三井寺側 疎水トンネル
疎水取水口(三井寺側から琵琶湖を望む)

  山科にある天智天皇陵に行くため、逢坂の関を越えて山科へサイクリングを試みた。逢坂の関の手前には関蝉丸神社、逢坂の関を越えた旧東海道には蝉丸神社がある。蝉丸法師を祀っている。子供が小学校に行く前、百人一首で坊主めくりをすることがあった。蝉丸が出てくると、これ嫌いと云って泣きじゃくっていたことを思い出す。

  山科側に入ったところ追分の地に坂上田村麻呂の石像がある。死後山科に葬られたため旅の安全と国の安泰を願って建てられたという。そのすぐそばには日本のそろばんの発祥の地という立て看板もある。

  国道1号線を走ると間もなく天智天皇陵に到着する。参道を歩き、参拝する。すぐ北に山科疎水が流れている。その散歩道を京都側に走る。蹴上に至るトンネルのところまで散歩道は続いている。トンネルの直前には、日本で初めての鉄筋コンクリート橋がある。

  逆に大津側に走り小関越え道に入る。峠までの坂は急で、自転車を手押しで登る。峠には地蔵堂があり、お地蔵さんが祀られている。そして大津側三井寺近くの疎水トンネルに至る。この小関越え道は比較的距離が短く、これからも京都にサイクリングするときには使いやすい。

2017年1月19日木曜日

瀬田川ぐるりさんぽ道

 近江大橋(草津方面に向かって)
 琵琶湖一周サイクルラインの表示
 琵琶湖石碑
瀬田川の表示
瀬田川ぐるりさんぽ道
琵琶湖漕艇場
 琵琶湖漕艇場(近江大橋方向)
 琵琶湖漕艇場(唐橋方向)
 瀬田の唐橋に向かって
 芭蕉句碑
 芭蕉の句
 瀬田の唐橋
南郷洗堰に向かって
 南郷洗堰の説明
 南郷洗堰
 旧洗堰
 石山寺側の道
 石山寺
 なぎさ公園
 粟津の青嵐
 粟津の青嵐の説明
カヌー練習風景
 ボート練習風景
 ボート練習風景
 ボート練習風景
 膳所城址の石碑
膳所城本丸跡地
 膳所城門
膳所城天守閣跡
 芭蕉の句の説明
 芭蕉句碑

  先日は草津側の近江大橋からさざなみ街道を北上したが、今日は南方向に瀬田川ぐるりさんぽ道をサイクリングすることにした。

  近江大橋と瀬田の唐橋の間には有名な県立琵琶湖漕艇場がある。関西で開催されるボート競技はほとんどここで実施されている。湖岸には各大学のボート部の合宿所があるが、近くに大きな事業所のある東レのボート部の本拠地でもある。

  瀬田の唐橋の手前に芭蕉の句碑がある。芭蕉は何度も唐橋を訪れているが、この句は五月雨の時期の句である。瀬田の唐橋は京都宇治橋、山崎橋と並んで日本三名橋と呼ばれている。歴史にたびたび出現する有名な橋である。

  さらに南下すると南郷洗堰に達する。ここで琵琶湖から瀬田川、宇治川、淀川への水量を調節している。現行の洗堰のすぐ手前にはレンガ造りの旧洗堰の一部が残されている。

  洗堰を渡って瀬田川対岸を近江大橋に向かって走る。間もなく石山寺の前を通り、なぎさ公園に達する。ここには粟津浜の松が残されており、粟津の青嵐と呼ばれる名所である。

  瀬田川でボート競技の練習をしている光景を見ながらさらに走ると膳所城址の公園となる。このお城は徳川家康が関ケ原の戦いで勝利した後、大津城を廃城にして近江地区の統治のため新たに築城したものである。

  膳所城天守閣跡には芭蕉の句碑が残されている。義仲寺の無名庵に最後に滞在した時の句という。そして近江大橋に戻る。一周約10kmのサイクリングであった。