豊国神社鳥居
豊国神社の説明
社殿
虎石
虎石の由来
長浜城家臣団屋敷跡と地名起源歌碑
長浜の地名起源歌碑の説明
本日の移動距離 7.32km、歩数 7033歩
(京阪電車で石場往復も含む)
本日の移動距離 7.32km、歩数 7033歩
(京阪電車で石場往復も含む)
名前からして豊臣秀吉を祀る神社であるが、豊臣氏が滅んだあと徳川幕府はこの神社を取り潰している。
しかし、町衆によって密かに秀吉を祀り続け、その後商売の神様として恵比須神社を創建するときにその本殿の奥に秀吉も公にならないように祀られた。明治維新になって豊国神社として復活している。
神社内には秀吉に仕えた加藤清正の像があったり、清正が長浜城主秀吉に献じた虎石などがある。
神社を出てすぐのところには二つの石碑がある。一つは長浜城家臣団屋敷跡と、もう一つは長浜の地名起源歌碑である。
秀吉は浅井家を滅ぼし長浜城を築くが、家臣たちの屋敷がこの神社近くにあった。加藤清正もこの近くに住んでいたのかもしれない。
秀吉が城主になるまではこの地は今浜と呼ばれていた。城主になって、信長の長の字を使って長浜としたといわれている。歌碑は家来である竹中半兵衛の歌である。
昨日はこの後、JR新快速電車で山科まで乗り、湖西線に乗り換えて帰宅している。