2017年2月5日日曜日

マクロビ朝食

 マクロビ朝食
(玄米ご飯、黒胡麻、ネギ入り納豆、味噌汁、四年梅干し)
黒瀬農舎の無農薬玄米
黒胡麻塩
下仁田納豆
有機エキストラバージン・オリーブオイル
海の精・生しぼり醤油
練りからし
有明産特上焼海苔
鳴門生わかめ
あらいぶきっちんもめんとうふ
立科あわせみそ
四年梅干し

  10年来、朝食は毎日マクロビ朝食である。以前は朝食はたいていパン食であった。現役時代、朝は十分な時間がなく手早く済ますためであった。しかし病気の後、玄米食を中心にしたマクロビ朝食に変更している。

  玄米ご飯は、秋田こまちの黒瀬農舎の無農薬玄米である。それに黒胡麻を添えて食べる。納豆は下仁田納豆。ネギをたくさん入れて、からし、醤油、そしてオリーブオイルも入れる。海苔巻きにして食べる。

  京都で生まれ育っているため若いころは納豆を食べた経験はあまりない。しかし、病気の後食べ始めた。ネギと醤油の相性が良く、またオリーブオイルでうまみが出る。今では大好物になっている。

  味噌汁は昆布出汁の中にわかめ、玉ねぎ、豆腐、それにあわせ味噌で味付けする。最後は四年梅干しを玄米ご飯と一緒に海苔巻きで食べる。

  退職後は自分で朝食を準備している。消化を良くするためよく噛んでゆっくりと食べる。美味しいばかりである。毎日の朝が楽しみでもある。

2017年2月4日土曜日

立春

柳川土手に咲く野の花 
柳川土手に咲く野の花

 柳川土手に咲く野の花

  今日は立春。寒さも一段落、気持ち良い天気である。いつもの散歩コースを歩く。

  先日、柳川土手水仙が花をつけていたが、加えていろいろな色の野の花が見られるようになった。ピンク、水色、黄色など。花の名前は知らない。

  自然は正直である。名も知られない野生の植物が春の到来を教えてくれている。

2017年2月3日金曜日

高瀬舟

高瀬舟
「高瀬川一之船入」の説明
高瀬川一之船入の石柱(左奥入江が船入)
高瀬川の石碑
角倉了以邸址
 角倉了以別邸跡
 角倉了以別邸跡(今は寿司店)
 「島津製作所創業の地」の説明
 島津製作所創業の地
 島津製作所創業記念資料館
 島津製作所創業記念資料館
本能寺総門
本能寺由緒
本堂
浮島ガーデン中庭
浮島ガーデン和室

  昨日は広隆寺を訪問した後、夕方に浮島ガーデンで夕食をとった。予約時間より早く着いたので近くを散策した。

  高瀬舟で有名な高瀬川の船入が二条木屋町にある。森鴎外の「高瀬舟」はこの高瀬舟に載せられて高瀬川を下り、島流しにされる罪人との出会いを題材にしたものである。

  病気の弟の苦しみを取り除くためにあやめたとの話。罪人は今までの世話の苦しさを思えば島流しの方が安らぎを感じるという。現代でも認知症老人、末期がん患者の介護疲れで、そして患者の苦しみを取り除くため人をあやめることが起こっており、これが罪なのかを問う小説である。

  高瀬川は、江戸時代京都の中心と大阪との間の物流をたやすくするために、鴨川の水を流して伏見から淀川につながるように造られた。その開発者は有名な商人角倉了以であった。浅い川であるため、高瀬舟は底が平らであることが特徴である。

  その角倉了以の邸宅跡や別宅跡の石碑が残っている。別宅跡は今は寿司屋になっていた。その向かいは島津製作所創業の地になっている。父が若いころ勤めていた会社である。もともと理科学測定器で知られている会社であるが、今ではノーベル賞受賞社員が出たことで一般の人にも広く知られるようになった。

  そして本能寺の変で有名な本能寺を見て、浮島ガーデンに入った。本日は中庭をはさんだ和室での食事である。隣テーブルの3人のおば様達は学校時代の同級生のようで、温泉に行こうなど楽しそうな会話がはずんでいた。

2017年2月2日木曜日

広隆寺弥勒菩薩

床の間に飾られた広隆寺弥勒菩薩
 京都地下鉄東西線太秦天神川駅
太秦の地
 広隆寺楼門
聖徳皇太子殿の石柱
 広隆寺境内
 講堂
 上宮王院太子殿
 霊宝殿
 霊宝殿入口
 霊宝殿前庭
蚕養神社の鳥居
蚕養神社の参道 
木島座天照御魂神社の石柱
 
木島坐天照御魂神社(蚕の社)由緒
 舞殿
本殿
東本殿(蚕養神社、蚕の社)
 元糺の池
 石製三柱鳥居
嵐電
嵐電蚕の杜駅
 四条大宮駅終点
嵐電四条大宮駅

  床の間に広隆寺の弥勒菩薩の写真を飾っている。広隆寺には今まで何度か訪れ、その時に購入したものである。久しぶりに本物を見に行くことにした。

  京都地下鉄東西線の終点、太秦天神川駅で降りる。歩いて広隆寺に向かう。懐かしい嵐電が路上を走っている。昔に比べてモダンな車両になっている。楼門前には聖徳皇太子殿との石柱がある。

  境内に入ると、講堂があり、突き当りが本堂の上宮王院太子殿である。広隆寺は飛鳥時代に聖徳太子が建立したといわれ、本堂には聖徳太子像が祀られている。毎年11月22日に開扉される。

  本堂左側に霊宝殿の入場受付がある。700円払って入る。霊宝殿室内は写真厳禁である。仏像が並んでいるが、中央に弥勒菩薩が置かれてる。写真を撮りたいが残念である。じっくりと見つめる。何とも言えない清楚な美しさで、気持ちが落ち着く。

  西欧の哲学者がこの仏像を見て、ギリシャローマ時代のどんな芸術よりも、人間実存の最高の姿と絶賛したのはうなずける。この寺は、他の京都の社寺と比べて人もまばらで静かなたたずまいの空間である。京都近くに移ってきて、これからも見に行きたいときにはいつでも行けることをありがたく思う。

  広隆寺を出て、近くの神社に向かった。鳥居には蚕養神社と書かれている。養蚕に関する神社のようである。もともと太秦は中国秦の始皇帝とつながりのある秦氏が古墳時代に帰化して住み着いたところ。養蚕技術や機織りなどいろいろな文化も持ち込んでいる。その関係でこの神社があるのであろう。

  つくばにも蚕影神社があった。日本での養蚕の始まりがつくばであったと聞いている。おそらく秦氏が持ち込んだ技術が東の方へ伝わり、そこで産業として始まったのではないかと推測する。

  本殿は木島座天照御魂神社といい、その東に東本殿がある。これが蚕養神社(蚕の社)である。本殿西には元糺の池があり、その中には京都三鳥居の一つである石製三柱鳥居がある。泉が湧いているといわれるが、今は枯れていた。

  帰り、近くの嵐電蚕の杜駅から電車に乗った。電車内はほぼ満員である。観光客が多く、嵐山からの帰り客のようだ。かなりの人が外国人である。この一両編成の小さな電車は、東京荒川都電に似ていて風情があっていい。15分のほどで、終点四条大宮駅に着いた。

2017年2月1日水曜日

おひなさま

 おひなさま
お内裏さま

  2月に入ったので、おひなさまを出した。今までは赤い毛氈の三段飾りにしていたが、今年からは床の間を使って飾ることにした。

  子供が出来てすぐに購入し、転勤しても、またドイツ時代も、毎年飾っている。色褪せもなく相変わらず可愛らしいお人形である。

  これからも毎年の恒例行事として楽しみたい。