2016年11月28日月曜日

西教寺

西教寺正面
西教寺総門
「西教寺総門」の説明
沢庵禅師の碑
 
「沢庵禅師の碑」の説明
小説「細川ガラシャ夫人」の説明
参道の紅葉
 紅葉と比叡山
参道の紅葉
「西教寺」の説明
本堂への階段
 本堂
明智光秀一族の墓
明智光秀の墓
明智光秀の墓
「明智光秀の妻熙子の墓」の説明
明智光秀の妻熙子の墓
「明智光秀公辞世句」の説明
明智光秀公辞世句の碑
境内の紅葉
参道(琵琶湖に向かって)
境内からの琵琶湖(中央は近江富士)
坂本の町並み
坂本地区の穴太石垣
坂本地区の穴太石垣
「南滋賀遺跡発掘調査」の説明
南滋賀遺跡発掘調査現場

  自宅から6kmくらいのところに西教寺があり、自転車で出かけた。途中、坂本地区近辺には有名な穴太石垣が多く見られる。門前町の面影が残る坂本の町並みを通り過ぎて西教寺に着いた。

  坂本城門を移設したといわれる総門をくぐると、紅葉が美しい参道に入る。参道にはここを訪れたという沢庵禅師の石碑、三浦綾子の小説「細川ガラシャ夫人」の文学説明板などがある。光秀の娘玉子の話である。参道からは比叡山が望める。そして階段を上がると本堂に達する。この寺は聖徳太子由来のものといわれている。

  本堂左手前には明智光秀一族の墓がある。光秀と妻熙子の墓である。光秀は信長に命じられて延暦寺焼き払いを実行、その時同時にこの西教寺も焼き払う。その償いか、その後坂本城主になると再建に力を注いだという。焼き払いは本意ではなかったが信長に従わざるを得ないという、生き残るためには何でもやらざるを得ないという戦国時代の宿命であったのかと思う。

  信長は比叡山焼き払いのみならず伊賀上野など至る所で住民も含めた殺戮を繰り返しており、光秀はその反目から本能寺の変を起こしたのではないかとの見方をしたくなる。光秀の辞世句も、戦国時代の非情の世界を憂いていることが伺える。

  境内からは琵琶湖対岸奥に近江富士が望める。人出はほとんどなく、京都の混雑に比べて静寂の中での心落ち着く散策であった。ゆっくりと晩秋の紅葉を楽しんだ。

  帰り道で、遺跡発掘の現場を通り過ぎた。1400年前の古墳時代後期の竪穴建物という。日本の色んなところでこのような遺跡があるようで、これからも新たに発見され日本の歴史が判明するようで興味深い。

2016年11月27日日曜日

アドヴェント

我が家のクリスマスツリー(背景は琵琶湖)
我が家のクリスマスツリー
湖畔からの琵琶湖夜景
湖畔から見たクリスマスツリー

  12月25日の4週間前の日曜日はヨーロッパではクリスマスシーズンの始まりである。第1アドヴェントといい、4本のローソク飾りの1本を灯す。さらに1週間後には第2アドヴェントとしてもう一つともす。4本のローソクすべてがともる第4アドヴェントでクリスマスとなる。

  ドイツからE-メールで第1アドヴェントのメールを受け取った。送ってきたのはクリスマスに関連したU-tubeの音楽画面である。早速U-tubeを開き画面音楽を楽しんだ。

  我が家でも本日、青色LEDで飾ったクリスマスツリーを点灯した。その写真をとりE-mailで返信した。本年も冬にはヨーロッパに行きたかったが腰痛のため行けないと伝えた。

  今春の引っ越しの際、腰を痛めてリハビリの毎日である。何とか歩いたり、自転車には乗れるようになったがまだ痛みは続いており、特に座ったり、立ち上がったりするときにはかなりの苦痛を伴う。次回のヨーロッパはウィーンに3か月ほど滞在したいと考えている。行けることを楽しみにしながらこれからも地道にリハビリ体操を続けようと思う。

2016年11月26日土曜日

皇子山古墳

 「皇子山古墳」の説明
 周辺遺跡の説明
 古墳への階段
 「皇子山古墳一号墳」の説明
 一号古墳(前方後方墳)
一号古墳から
「一号古墳」からの宇佐山城跡
 一号古墳
 一号古墳
 「一号古墳」からの近江富士
「 一号古墳」からの大津港
一号古墳
 一号古墳
 一号古墳
「皇子山2号墳(円墳)」の説明
 皇子山2号墳(円墳)
 登り口にある石
 大津宮遺跡第三地点
 大津宮遺跡第三地点
 「大津宮遺跡第三地点」の説明
 「大津宮遺跡第三地点」の柱跡
 大津宮遺跡第七地点
 「大津宮遺跡第七地点」の説明
 大津宮遺跡第七地点
大津宮遺跡第七地点

  毎日の散歩に近江神宮を参拝することがルチーンになっているが、今日はその近くにある皇子山古墳遺跡にも立ち寄った。

  近江神宮の南、300mくらいのところ住宅街の中に登り口がある。急な階段であるが高さ160mちょっとのところにその遺跡がある。第1古墳の再現石積みの古墳跡である。奈良飛鳥の前方後円墳ではなく前方後方墳であったという。その古墳の上に立つと、北西には宇佐山頂上が、西には琵琶湖・近江富士、南西には大津港・大津市街が見える。

  第1古墳から東へ少し下ったところには第2古墳がある。これは円墳である。この近辺にはこのほかにも山田古墳、宇佐山古墳、福王子古墳など点在しており、錦織に代表されるように朝鮮半島からの帰化人などの豪族たちを埋葬したものであろう。

  帰る途中、大津宮遺跡第三地点、第七地点の表示を見つけた。第三地点は内裏正殿西側の跡、第七地点は内裏東西の塀の跡との説明であった。

  散歩の範囲を広げるたびに新しい発見があり、これからも楽しみながら散歩を続けたい。