西教寺正面
西教寺総門
「西教寺総門」の説明
沢庵禅師の碑
「沢庵禅師の碑」の説明
小説「細川ガラシャ夫人」の説明
参道の紅葉
紅葉と比叡山
参道の紅葉
「西教寺」の説明
本堂への階段
本堂
明智光秀一族の墓
明智光秀の墓
明智光秀の墓
「明智光秀の妻熙子の墓」の説明
明智光秀の妻熙子の墓
「明智光秀公辞世句」の説明
明智光秀公辞世句の碑
境内の紅葉
参道(琵琶湖に向かって)
境内からの琵琶湖(中央は近江富士)
坂本の町並み
坂本地区の穴太石垣
坂本地区の穴太石垣
「南滋賀遺跡発掘調査」の説明
南滋賀遺跡発掘調査現場
自宅から6kmくらいのところに西教寺があり、自転車で出かけた。途中、坂本地区近辺には有名な穴太石垣が多く見られる。門前町の面影が残る坂本の町並みを通り過ぎて西教寺に着いた。
坂本城門を移設したといわれる総門をくぐると、紅葉が美しい参道に入る。参道にはここを訪れたという沢庵禅師の石碑、三浦綾子の小説「細川ガラシャ夫人」の文学説明板などがある。光秀の娘玉子の話である。参道からは比叡山が望める。そして階段を上がると本堂に達する。この寺は聖徳太子由来のものといわれている。
本堂左手前には明智光秀一族の墓がある。光秀と妻熙子の墓である。光秀は信長に命じられて延暦寺焼き払いを実行、その時同時にこの西教寺も焼き払う。その償いか、その後坂本城主になると再建に力を注いだという。焼き払いは本意ではなかったが信長に従わざるを得ないという、生き残るためには何でもやらざるを得ないという戦国時代の宿命であったのかと思う。
信長は比叡山焼き払いのみならず伊賀上野など至る所で住民も含めた殺戮を繰り返しており、光秀はその反目から本能寺の変を起こしたのではないかとの見方をしたくなる。光秀の辞世句も、戦国時代の非情の世界を憂いていることが伺える。
境内からは琵琶湖対岸奥に近江富士が望める。人出はほとんどなく、京都の混雑に比べて静寂の中での心落ち着く散策であった。ゆっくりと晩秋の紅葉を楽しんだ。
帰り道で、遺跡発掘の現場を通り過ぎた。1400年前の古墳時代後期の竪穴建物という。日本の色んなところでこのような遺跡があるようで、これからも新たに発見され日本の歴史が判明するようで興味深い。