2017年5月8日月曜日

安土城址

JR琵琶湖線安土駅
駅前の地図
前方に見える繖山(きぬがさやま)に向かう
繖山ほとりの道標
(瓢箪山古墳、桑実寺、文芸の郷)
 桑実寺への坂道
 観音正寺、桑実寺方向の石標
 階段が続く
桑実寺の門
門からの風景
 
 安土城考古博物館、文芸の郷の方へ歩く
安土城考古博物館、信長の館、文芸の郷
 田園風景が広がる
(すでに田植えは終わっている)
 安土城址への道
(前方が安土山)
 安土城址の石碑
安土城跡の説明
空撮した安土山全体写真
石塁と大手三門の説明
石塁と大手三門の跡
東側石塁北上段郭と虎口の説明
東側石塁北上段郭と虎口
安土城址の全景
本日の歩数実績は14508歩
 歩いた距離は7.07km
消費エネルギーは2542キロカロリー
帰宅直後の血圧

  今日は安土城址付近を訪れた。JR琵琶湖線安土駅から歩いて、まずは繖山(きぬがさやま)にある桑実寺、観音正寺の方に歩いた。晴天であるが黄砂の影響か、もやっている感じがする。

  繖山の麓には道標があり、桑実寺の方向に登る。途中から階段になり、桑実寺の門に至る。ここからの景色を見ながら休憩を取った。桑実寺を通りさらに階段を上がると、西国三十三観音32番の観音正寺に行けるが時間がかかるので諦めて、下山し安土城址に向かった。

  田園風景の中、文芸の郷、信長の館、安土城考古博物館を通り過ぎ、安土城址に達した。織田信長が武田勝頼を長篠の戦で打ち破った翌年、1576年から畿内、東海、北陸から最新の技術を持った職人をかき集めて築城した。

  三年後には天守が完成し、信長が住み始めている。そしてその三年後には本能寺の変が起こり、すぐに焼失することになる。まもなく廃城となり今に至っている。

  城主として君臨した信長は、禁足を破って近くの桑実寺に参拝した女中たちと、その女中たちを擁護した桑実寺の高僧達を殺害したという。歴史に名を遺した人物であるが、一方では信長の残虐性を示す歴史的事実をまた知ることとなった。

  帰りもJRを使用したが、GPSでその経路を確認しつつ帰宅した。本日の歩いた歩数は14508歩で、一日の目標10000歩をオーバーした。今までの山歩きで測定しておれば、軽く10000歩はクリアーしていたものと思う。これからもデーターを取り続けたい。

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