2020年8月9日日曜日

Atomic Bomb(原爆)

USA had Plan of Third Atomic Bomb in Japan
(WEB News of Today)

Walking : around 7 km, 8000 Steps
(Usual Course)
 No Record due to Dead Battery of Smartphone

  本日は長崎に原爆が投下されて75年目の日になる。投下後、日本がポツダム宣言を受諾することになるが、この後第三、第四の原爆投下も計画されていたというWEB ニュースがあった。

  広島、長崎の惨事の結果を受けて、日本ではポツダム宣言受諾の議論が行われたが、それでも軍部は戦争続行を主張していたという。結局天皇の決断で無条件降伏するのであるが、一時、条件付き受諾も米国に打診していたそうである。

  条件付き受諾は拒否され、結局無条件降伏となるわけである。もし受諾の判断がさらに遅れていれば、第三、第四の原爆被害が現実化していたことになる。

  記事よると、第三には東京が候補になったという。判断がさらに遅れておれば、東京のみならず日本全体が壊滅状況になっていたものと思う。

  広島に原爆投下する前には、候補地としては優先順位で、京都、広島、小倉、新潟になっていたという。しかし米国内で京都は古都であり避けるべきとの意見が出て、結局広島が最初になった。次は小倉であったが、当日小倉の天気が悪く急遽長崎に変更されたことなど、この記事で新しい情報を知ることになった。

  戦争当時から、私の両親は京都に住んでいた。もし原爆が京都に投下されておれば、おそらく私自身はこの世に生まれていなかったことになる。今生きていることは偶然と思わざるを得ない。

原爆が 京都に投下 我いない
(げんばくが きょうとにとうか われいない)

  ポツダム宣言をすぐに受諾しておれば、広島、長崎の惨事もなかったことになる。日本の為政者の判断が遅れたことが、惨事を作り出したといってもよい。当時の為政者の責任は重大である。

  現在のコロナ禍の状況を見る限り、来年のオリンピック開催は無理であることはだれが見ても分かる。オリンピック中止の判断がずるずると延ばされている。終戦の時と同じような状況が今進行しているといえる。

2020年8月8日土曜日

Drangonfly(トンボ)

 Drangonfly at Bank of Yanagawa
Flowers of Cosmos at Bank of Yanagawa
Walking 6.26 km, 7907 Steps
(Usual Course)

  今年もトンボが飛び交う季節になったが、今年初めて写真におさめることが出来た。柳川土手のアジサイの花で休んでいる所である。

  柳川土手のコスモスも、その後花を増やしている。立秋も過ぎ季節は秋に向かっていることを知らせているようである。

トンボ見て 立秋も過ぎて 秋を待つ
(トンボみて りっしゅうもすぎて あきをまつ)

2020年8月7日金曜日

Mask of Glass(ガラスの仮面)

Opera Fantastica of FM Program
Kurenai Tennyo(紅天女)
 Composer : Terashima Tamiya
Soprano : Kobayashi sara
Tenor : Yamanoto Yasuhiro
Orchestra : Tokyo Philharmonic Orchestra
Conductor : Sonoda Ryuichirou
Recorded at Orchard Hall in 13, January, 2020
Walking : 6.54 km, 8091 Steps
(Usual Course)

  わが子が小学生のころ、子供たちは漫画「ガラスの仮面」に夢中であった。同時にテレビ番組もあり人気を得ていた。

  特に長女は小学校の学芸会で、そのテレビ番組の主題曲を楽譜もないまま、友達と共にピアノなどの合奏曲に仕立て上げ、演奏したという。話の内容、曲は知らないが「ガラスの仮面」だったという題目だけは覚えている。

長女作 ガラスの仮面 合奏曲
(ちょうじょさく ガラスのかめん がっそうきょく)

  本日のFM放送「オペラファンタスティカ」では、「ガラスの仮面」のオペラ版、「紅天女」を放送していた。

  美内すずえの原作漫画「ガラスの仮面」は50巻まで続いているが、まだ完結ではないという。今年初めに演奏された歌劇「紅天女」ではその完結の内容になっているという説明があった。

  東京渋谷オーチャードホールでの録音であった。普通の少女が演劇の世界で成功する話で、その出世の基になったのが「紅天女」の劇中劇である。

  南北朝時代、仏師が天女像を作るために木を探していたが、誤って谷底に落ちた。それを助けたのが村の娘で、その後のその娘との愛を描いている。

  少女はこの劇中劇の主役の娘に抜擢される。ソプラノの小林沙羅が演じていた。素晴らしいソプラノであった。仏師役はテノールの山本康弘であった。びわ湖ホール声楽アンサンブルメンバーである。

  この少女がその後どうなったか。夕方になり、散歩に出かけたので、結末を知ることは出来なかった。

  劇中劇「紅天女」の話の中では、琴、笛などの日本の楽器の音も使われており、日本の雰囲気を漂わせていた。

  結末が知りたいが、またの機会としたい。

2020年8月6日木曜日

Cairn was built again(ケルン再建)

 Cairn was built again at Beach of Biwa-Lake
 Cairn and Oumi-Fuji
Walking 7.45 km, 8138 Steps
(Usual Course)

  昨日、柳が崎湖畔公園の浜辺に作られたケルンがなくなっていることは、昨日のブログに載せた。

  本日、同じ散歩コースを歩いていると、同じ場所にまたケルンが作られていた。以前よりも少し低く、石も一部を除いて新たなものになっていた。

  釣人がまた建てたものと思う。暑さ厳しい日々であるが、ケルンと湖越しに見える近江富士を眺めると、暑さを一時忘れる。

ケルンから 見る近江富士 涼しげだ
(ケルンから みるおうみふじ すずしげだ)

  今度のケルンは、壊れずにいつまで建っているか、見守りたい。

2020年8月5日水曜日

Cairn(ケルン)

Cairn at Beach of Yanagasaki Lakeside Park
 Cairn and Oumi-Fuji
 (Small Mountain at opposite Shore of Lake)
There was no Cairn today
(Only 3 Stones remain)
Walking 6.75 km, 7955 Steps
(Usual Course)

  石積のケルンと云えば山にあるものと思うが、ここ琵琶湖の浜辺にも出現している。

  浜辺の石を集めて、倒れないように積み上げている。先日から散歩時見かけていたが、本日は姿がなくなっていた。僅かな石だけが残っていた。

  事故などがあると、慰霊のために作ることもたまにはあるという。いつも釣り人がくる場所であり、釣りの合間に楽しみで作ったものと思う。

  慰霊のためではないと思う。

琵琶湖浜 ケルンの先に 近江富士
(びわこはま ケルンのさきに おうみふじ)

2020年8月4日火曜日

Bird Net(防鳥ネット)

Bird Net in Rice Field near Yanagawa
Walking 6.27 km, 5271 Steps
(Dentist, Yanagawa, Branch Otsukyo)

  柳川近くの田んぼでは稲穂が大きくなりつつあるが、鳥除けの青いネットが張られた。

  ところで、農業用のネットとしては寒冷紗がよく使われる。茶畑などで、直射日光を和らげる目的で使われる。この織物は毛羽のある紡績糸の目の粗い織物である。普通は黒に染められている。

  就職して最初の仕事はウォータージェットルームの技術開発であった。その中に、農業用寒冷紗をウォータージェットルームで織る技術を開発する業務もあった。

  ウォータージェットルームは緯糸を水ジェットで飛ばして織る織機である。緯糸を巻いた管の入った杼を走らせて織る従来の普通織機と比べて、製織スピードが3倍から10倍にもなる高速織機である。

  この織機で寒冷紗を織れるようにして、その生産性を上げるのが目的であった。数年の歳月をかけたが、紡績糸は水に弱く、毛羽が邪魔をして経糸切れが多発した。その解決策がなく、結局実用化は出来なかった。

  実用化は、その後開発されたエーアージェットルーム(水を使わず、空気ジェットで緯糸を飛ばす)により実現化する。

  寒冷紗は織物であるが、農業用ネットには経編のラッセル、有結節ネットなどがある。今回使用されていたのは、おそらくポリプロピレン製融着結節ネットではないかと思われる。最もコストが安い。

  稲穂に掛けられた青いネットを見て、若き頃の仕事を思い出した。失敗物語であった。

寒冷紗 青いネット見て 思い出す
(かんれいしゃ あおいネットみて おもいだす) 

  ちなみに、ウォータージェットルームの歴史を書き残しておきたく思う。

  ウォータージェットルームを世界で最初に発明したのはチェコであった。戦後、一部繊維産業で使用されたが、安定性がなく本格的な普及には至らなかった。

  我々が学生時代、日産自動車に買収される前のプリンス自動車が新たなウォータージェットルームを開発した。しかし、同じように安定性がなく普及しなかった。

  普及に大きな役割を演じたのが、現役時代の会社が開発したジェットノズルである。このノズルを使うと安定生産でき、稼働率99%と、ほとんど織機が止まることなく運転が出来るようになった。

  織工さん一人で100台の運転が可能で、しかも製織スピードが従来の織機の3倍であった。今では10倍までスピードアップしている。(旧普通織機:100~150rpm、ウォータージェットルーム:500~1500rpm)

  プリンス自動車が日産自動車に買収された後も、日産自動車の製品として世界を席巻したが、ゴーン時代に日産にとっては根幹事業ではないとして撤退している。その事業は豊田自動織機に移管された。今では津田駒工業なども参入し、海外でも生産されている。

  ウォータージェットルームの技術も基本発明は欧米で、実用化したのは日本という、戦後日本の繁栄を支えたパターンの製品の一つである。

2020年8月3日月曜日

Evening Cicada(ヒグラシ)

Evening Cicadas shrill at Oumi-Shrine Forest
(Videos)
Walking 6.41 km, 4899 Steps
(Yamashina Muji)

  この頃、散歩は夕方遅くにしている。暑さを避けるためである。夕方には、近江神宮の森ではヒグラシが鳴いている。
 
 毎年7月末から8月初めに鳴き始める。ヒグラシは秋まで鳴き続けるため、季語としては秋になっている。

  これから夏が本番であるが、ヒグラシの句をひとつ。

ヒグラシの 鳴き声聴くも 秋はまだ
(ヒグラシの なきごえきくも あきはまだ)